「YEBISU うすはり硝子器揃 玻璃蔵 庄太郎 謹製」タンブラー
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世界そのものは、世界の内部にある存在者のひとつではない。けれども世界はこれらの存在者を規定していて、それらが、出会ったり、発見された存在者としてその存在において現われてきたりすることができるのも、実はひとえに世界が「与えられている」からなのである。それにしても、世界はどのように「与えられている」のか。現存在が存在的に世界=内=存在によって構成されていて、その存在には現存在の自己についての存在了解も本質的にそなわっているのだとすれば、この存在了解がどれほど無規定なものであるにしても、現存在は世界の了解を--まだ明確な存在論的知見を欠いており、かつ欠きうる前=存在論的な了解ではあるが--もっているということになるのではあるまいか。配慮的な世界=内=存在に内世界的存在者が出会い、したがってそれの内世界性が現われてくるとともに、それと同時になにか世界というようなものも現れてくるのではあるまいか。この世界の現象は、なんらかの前=現象学的視向に映ずることがあるのではないか。それはすでにして、かような視向のうちに映っているのではないか--、まだそれとして主題的に存在論的な解釈を請求してはいないけれども。手もとにある道具に配慮的に融けこんでいる境涯のなかでも、配慮されている内世界的存在者とともに、あるありさまでそれの世界性が閃いてくるというようなことがあるのではないか。現存在自身が、かような存在可能性をもっているのではあるまいか。
--マルティン・ハイデッガー(細谷貞雄訳)『存在と時間 上』ちくま学芸文庫、1994年。
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イライラが募ってはおりましたが、済ませるだけ済ませる仕事を片づけますと、お楽しみタイムです。
実はですね、
実はですね、
YEBISUの特製グラス……しかもなかなか手に入らない奴……をもらってしまいましたです。
はい。
「YEBISU うすはり硝子器揃 玻璃蔵 庄太郎 謹製」タンブラーです。
東京は江東区の松徳硝子株式会社の製造の限定グラスです。同社はもともと電球用ガラスを製造していたのですが、そのノウハウを活かして「うすはりグラス」を世に送りだしたことで有名です。
バカラほど高騰しているアイテムではありませんが、その逆の発想で、繊細なグラスを造っていることで知られているわけですけども、そのエビスグラスですよ、旦那!
もともと電球をつくっていただけあり、めちゃくちゃ硝子が薄いんです。薄いから軽いわけで、同サイズの紙コップよりも軽いのではないかと見まがうほどの繊細な硝子です。
ですから壊れやすいのですが……「小さなお子様」には触らせること勿れと注意書きあり。
……ということで、早速YEBISUの瓶ビールを購入しやりはじめましたが……。
グラスによって酒が旨くなるというのは事実ですね。
脱帽しました。
ドイツの哲学者ハイデッガー(Martin Heidegger,1889-1976)は、主著『存在と時間』で、現存在(Da-sein)としての人の存在様態を探求する予備的考察のなかで、存在者としての道具の問題を論じておりますが、人間も、そして道具に代表される用具的存在者に関しても、その出会いが幸福であればあるだけ、人間の世界は彩り豊かなもになるものだ……などと思う夕べです。
ありがたし!
〝世界はどのように「与えられている」のか〟
「そりゃア、ハイデッガーの旦那。幸福になるために存在しているわけですよ。例えばこういう至福のひとときのようにね」
……とでも答えましょうか。
ただ、本日は、初秋、晩春の陽気です。
ビールが旨い!
存在と時間〈上〉 (ちくま学芸文庫) 著者:マルティン ハイデッガー |
ハイデッガー『存在と時間』註解 (ちくま学芸文庫) 著者:マイケル ゲルヴェン |
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