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「明日は非番である」「下城をいそぐことはない」などとおもったときに起こるもの

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 --下城をいそぐことはない。
 と重兵衛は思っていた。明日は非番である。重兵衛は濡れたたわしをつかんだまま、腰をのばしてあたりの景色に眼をやった。
 厩のある一帯は三ノ丸の濠ぎわの杉の陰に入り、わずかに馬場の馬柵のあたりに日があたっていた。三ノ丸の裏門に近いそのあたりは、通る者も稀な場所で、いまも歩いている人の姿は一人も見えなかった。
 そして夕日はまともに二ノ丸の松の梢を照らしていた。そのために梢の葉は光りかがやいて見える。少しはなれた空に、秋の雲が一片、軽やかに浮いている。そのあたりから目をもどすと、厩と馬場がある一帯はひどく暗く見えた。
 「そろそろ、終わりにするか」
 沼崎に声をかけて、重兵衛は襷を解こうと手を上げた。
 その手がとまったのは、そのときどこかで重くるしくどよめくような物音がするのを聞いたからである。大風がうなるようでもあり、大勢が叫ぶようでもある異様などよめきだった。その物音は二ノ丸の方角から聞こえてくるようで、そのまま消えずにつづいている。
 「何だ」
 重兵衛が耳を傾けていると、沼崎も手をやすめて、火事ではないでしょうかと言った。
 沼崎はそう言いながら、不安そうに二ノ丸の松の巨木がならぶあたりを見ている。
 どよめきが聞こえて来るのは、ちょうどその松の陰、こちらからは見えないが大手門や広場をへだてて会所、郡代屋敷と三ノ丸の役所がならぶ方角である。沼崎の意見は故のないことではなかった。
 異様な物音はみんなの耳にとどいたらしい。詰所に残って将棋をさしていた同僚の御馬役、厩で仕事をしていた足軽、下男も残らずにとび出している。とても不安そうに二ノ丸の空の方を見上げていた、
 そのとき重兵衛は、三ノ丸の隅に遠く見えている普請組の建物から、刀をつかんだ男たちがつぎつぎに走り出て、大手門の方にむかうのを見た。厩から見える三ノ丸の建物は、普請組の詰所と道具置場があるそこだけである。
 異変が起きた、と重兵衛は悟った。
 「後をたのんだぞ」
 ひと声残すと、詰所に走りこんで刀をつかんだ。そのまま跣で外に走り出た。残っていた同僚もあわてて重兵衛に倣った。
    −−藤沢周平「三ノ丸広場下城どき」、『麦屋町昼下がり』文春文庫、1992年。

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池波正太郎(1923-1990)先生の作品をこよなく愛する宇治家参去ですが、負けず劣らずに私淑の念をもって読ませて頂いているのが藤沢周平(1927-1997)先生の作品ではないかと思います。

時代小説にしては〝地味〟との評価が多いのですが、〝地味〟であるがゆえに人肌のように温かく、またそのリアリズムに惹き付けられてしまう宇治家参去です。

「三ノ丸広場下城どき」もなかなかようござんす。
何度も読んだ作品ですが、藤沢先生の描く〝救い〟の美学には脱帽するばかりです。
往時は剣の名手と呼ばれた粒来重兵衛ですが、左遷や妻との別離で酒に溺れ、したたかにその腕を落としてしまうのですが、ある事件を機会にもう一度剣を取り、そして最後に因縁の相手と剣を交える……そういう話です。

そのクライマックスにいたる夕暮れの一節を読み始めたところで・・・

内線用のPHSが鳴り響き、市井の職場での優雅な休憩は終わりを告げるという始末です。

電話を取ると、粒来重兵衛ではありませんが、

「異変が起きた、と重兵衛は悟った。」

……という次第です。

市井の仕事は、何度も書きましたがGMSの店舗勤務になりますので、ある意味では十年一律のような基本作業の反復ということになるのですが、それでもサービス業だからでしょうか、マア生きている人間と向き合う仕事になりますので、ときどきこれまで経験もしたことがなかったような事態にも遭遇します。

この仕事をしてなかったならば経験しなかったような難事とでも言えばいいのでしょうか。クレームとかそのへんの類です。

ルーティンな部分でも正直、かなりきつい部分がほんとんど、レジ4時間打ちっ放しの〝レジ番長〟とか〝ありえねぇ~〟って叫びたくなる部分があるのですけど、それはまだ序の口なんです。

まあ、生きている人間と向き合う〝事件〟のほうが、〝ありえねぇ~〟って叫びたく状況が多く、まさに「無事是名馬」との名言がいうように、きつい一日だったけど、「何事もなかった」という一日の終わりの安堵のアリガタサは、実に何モノにも代え難い千金の重みをもっている、何もないことほど素晴らしいことはない……そのことをよく仕事をしながら痛感します。

さて本日の案件も初めてです。

土下座をしたり、胸ぐらを掴まれたり、はたまた「ヤ」のつく自由業の事務所に連れて行かれたり等々……波瀾万丈の日々ですが、それをある意味では上回る大事件の到来です。

まさに……、

「異変が起きた、と重兵衛は悟った。」

……という次第です。

この手の問題で面白いのは粒来重兵衛が「明日は非番である」「下城をいそぐことはない」などとおもったときに起こるものなんです、不思議なものです。

さて、、、一報を受けてから、正直、、、

「マジっスか??」

……と聞き直した宇治家参去です。

要するに、駐車場にお客様が車を止められるわけですが、その側溝に、車のキーを落としたとかで、、、

「助けてくれ」

……ということです。

まさに

「マジっスか??」

サービス業でもあり、管理上の責任もありますので、対応せざるを得ませんが、そこまでやんなきゃいけないの???……などと頭を悩ませる次第ですけども、それでもなお、人間は、そこまで対応しなければ人間として成立しないものかもしれない……倫理の無限責任の要求@レヴィナスなんだよな……と思い直して現場へ急行した次第です。

ただしかし、学問の狭い世界だけで堂々巡りをやっていると、決して関係することのなかった世界と不可避的に対応させて〝頂いている〟という意味では、生きた学問の教室で学ばせて頂いているのかもしれませんが……、

それでもなお、ひさしぶりに、まさに

「マジっスか??」

……でございましたですワ。

側溝と聞きますと、要するに雨水などの排水を受ける直径30センチ前後の溝ということになりますが、今回の現場は、側溝は側溝なのですが、そんな甘っちょろい側溝ではございません。

ハイ、側溝が集約していく合流点とでもいえばいいのでしょうか。

2メートルの正方形の網蓋の奧でございました。
深さもこれまた2メートル。

ただしそれだけの大きなマンホールのようなところですので、フタが重いこと重いこと!

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「後をたのんだぞ」
 ひと声残すと、詰所に走りこんで刀をつかんだ

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も一度、詰所?へ走り込んで、「刀」をつかんだわけではありませんが、バールなんぞをもってきて、えっちらおっちら、大人三人でこじ開けますと(開けっ放しで事故が起こるとまずいので、かんたんには開閉できないようにとの配慮で、たぶん100kgオーヴァーのシロモノ)、

今度はだれが降りて、拾ってくるの???

……という段階です。

お客様をおろすわけにもいかず、こころのなかで、

「ハイ、私でしょ」

……とひとりごちてから、靴と靴下をぬぎ、ズボンを膝までまくし上げて、降りていった次第です。

幸い下水は40センチ程度で、おりてから5分ぐらいで車のキーを発見することができましたので、ともあれ、なによりです。

のぼってから、お客様へ渡してから、もいちどフタを締め、駐車場を辞した次第です。

まあ、これが洟垂れ小僧の少年時代なら、井上陽水(1948-)の「少年時代」を口ずさみつつ、、

「今日は冒険してきた!」

……って親にお馬鹿な報告をニンマリとするところですが、、、

水浸しで泥だらけの足でコソコソと詰め所へもどってから、石鹸で足を洗いながら、「まじで何が起こるか分からない職場だ!」と思いつつも、陽水の少年時代が壊れたラジオのようにループする所為だからでしょうか、なにやらひとつの達成感も覚えつつ、サービス業の醍醐味とは実はここにあるのか!

……などとひとり納得した次第ですが、ともあれ寒ぶかったっス。

ま、しかしなんですなあ~。

異変とは突然おきるものです。

粒来重兵衛は、警護の失態で己のふがいなさを自覚し、再び体を鍛え直す修行に再度挑戦するなかで、最後の決闘が〝突然〟降って湧いてくるわけですが、突然起こる異変に対応しつつ、「人間とは何か」この哲学的探究に飽くなき挑戦をして参りたいものです。

……ってことで、汚水が冷たかったことよりも、100kgオーヴァーのフタをあけたときに、腰に電撃が走った方が、ちょと響いております。

日頃の鍛錬が足りません。

http://www.youtube.com/watch?v=SqUA_UQsKE4&feature=related

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麦屋町昼下がり
配信元:電子書店パピレス
提供:@niftyコンテンツ

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