われわれはまだ統一の幻影を追っているのだ
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他人の生活に寄せる郷愁。それは外側から眺めると、その生活が一つのまとまった全体をかたちづくっているからだ。一方われわれの生活は、内側から眺めると拡散しているように見える。われわれはまだ統一の幻影を追っているのだ。
--カミュ(高畠正明訳)『反抗の論理 カミュの手帖2』新潮文庫、昭和五十年。
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今年は……いや、本年度は結局のところ、一歩も前進できなかった、匍匐渋滞の一年でおわるのか……と思っていたのですが、年度内ぎりぎりでなんとか、非常勤講師の職をひとつ増やすことができましたっ!
まだ、市井の職場とはすっぽりとおさらばできませんが、最後の最後になってひとつ階段をのぼることができたことはよかったかと思います。
隣の芝生は青いってよくいいます。
他人の芝生と比較してもはじまりませんので、自分の芝生の手入れを怠らず精進して参ろうと思います。
人間はともかく、体系とか統一とかといった全体にあこがれ、直視しようとするのですが眩暈を覚えてしまうだけなのかもしれません。
眩暈を通り過ぎてしまうと、そこで、それが幻影であることが理解できるわけなのですが、眩暈で終わってしまうことの方が多いのでしょう。
拡散している自分自身の状態を認めながら、手入れを怠らない……また本日よりそういう一歩一歩でありたいと思います。
以上。
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