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ニコライ堂をめぐる冒険

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 一九八六年に出た江川卓の『謎とき「罪と罰」』(新潮社)のコンセプトは、「明るく楽しいドストエフスキー」だった。わたしは同書によって、『罪と罰』に出てくるマルメラードフ--娘のソーニャを売春宿に渡した金で酒をのんでしまう下級役人--の名がマーマレイドつまり「甘ちゃん」に由来することを教えられたが、それだけのことだった。
 『謎解き「罪と罰」』は、むろん読んでいて楽しい。しかし、それは江川卓探偵が『罪と罰』の謎をとく、いわば推理小説的手法にすぎず、とどのつまり都市生活を送る現代人の趣味に堕してしまっている。探偵のスリリングな推理には脱帽しなくもないが、読者の心にひびいてくる文学のための導入となっているわけではない。
 それが近代小説の脱構築の手法だ、というひとがいるなら、そんな脱構築とは所詮「お遊び」にすぎない。とはいえ、土俗から切れて都市に浮遊するようになった現代人には、この種の「趣味」が必要なのである。このことは認めなければならない。そして、そのとき、ドストエフスキイ文学の本来的意味は忘れ去られるのである。
 しかし、都市に浮遊する現代人が「趣味」にのみ耽っていると、その「豊かな」社会の底にひろがっているニヒリズムが、オウム真理教のような形で不意に、その「豊かな」社会への憎悪を噴出させないともかぎらない。だが、村上春樹に代表される都市小説は、都市のなかで「気持ちのいいこと」や違和感を巧みに表現すること、つまり都市の感受性を大事にしてきた。そのためには、十年ほどまえの全共闘運動も、“思い出”に化してしまわなければならない。
 都市小説にあっては、登場人物は「都市」のカリスマ的な魔力に囚われつつも、そこで「気持ちよく」、若干の違和感を大切にしつつも生きてゆく感受性を大事にしなければならない。そうだとしたら、ドストエフスキイが描いたような深刻な人間の本性、社会への憎悪、そうしてムイシュキンのような「世界を救おう」とする無垢な魂の問題などは、とりあえず文学の外に置き去りにするしかない。
 そういうとおそらく、村上春樹のドストエフスキイ体験を軽視してはいけない、という意見が、村上ファンから提出されるような気がする。すなわち、二十一世紀に入って世界的な人気作家となった村上春樹を都市小説の文脈から外して、「世界文学」として読もうとする試みが、これである。
    --松本健一『ドストエフスキイと日本人(下) 小林多喜二から村上春樹まで』第三文明社、2008年。

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松本健一氏のドストエフスキイ論を読んでおりましたら、無性に駿河台のニコライ堂(東京復活大聖堂)を見たくなり、朝っぱらお茶の水まで足をのばした宇治家参去です。

1980~90年代の都市小説は、氏が指摘する通り、「都市のなかで「気持ちのいいこと」や違和感を巧みに表現すること、つまり都市の感受性を大事にしてきた」わけですが、時代の空気がそれ一片にだけに終始してしまうと、「その『豊かな』社会への憎悪を噴出させないともかぎらない」というのが、1990年代という壮大な実験・冷や水を浴びせかけるような出来事だったのかもしれません。

ちょうどこの時代、学部の学生をしておりましたが、その頃、よく通ったのがお茶の水・神田界隈かもしれません。

大学が三田で、バイト先が信濃町。

その中間に位置しているのがお茶の水・神田界隈になりますので、よく通った懐かしい地域です。

書籍を買い求め、古本を求めて散策し、「いもや」でてんぷらかトンカツをいただくこともあれば、神田の藪でひるからビールという日もありましたが、「土俗から切れて都市に浮遊する」ひとときを堪能したものです。

しかし「土俗から切れて都市に浮遊するよう」だけが人間でもありませんので、そのひとときの感覚は感覚としながらも、そうではない側面との対峙も大学やバイト先で学んだような気がします。

ただ、そうしたストレスが浮遊によって、また浮遊がストレスやまじめさによってかえってひきたつものなんだよな……とも思われます。

まあ、所詮気晴らしは気晴らしにすぎませんし、そうでない部分もそうでない部分にすぎないのでしょう。そのどちらかだけに真実性を求めるようになると不幸なのかもしれません。

さて、朝っぱらふらふら出かけましたが、すこし二日酔いのため、食事をとるきにはなれず、散策とコーヒーのみで懐かしい都市を後にした次第です。

コーヒーは5年ぶりぐらいに訪れた癒しの「純喫茶ミロ」にトアルコ・トラジャで一服。

そういえば、ニコライ堂で有名なイワン・ドミートリエヴィチ・カサートキン(Ivan Dimitrovich Kasatkin,1836-1912)はドストエフスキー(Fyodor Mikhaylovich Dostoyevsky,1821-1881)と面識がったと聞き及んでおります。

こうした聖堂をながめつつ、思案していた往事のドストエフスキーを忍びつつ、後ろ髪をひかれながら、街を後にした宇治家参去でした。

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