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あらゆる人間にたいして義務が存在する。人間であるというただ事実ゆえに。

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 義務は個々の人間しか拘束しない。集団としての集団にたいする義務は存在しない。しかし集団を構成し、集団に奉仕し、集団を指揮し、集団を代表する個人にたいする義務は存在する。集団にむすびついた生活の一部であっても、集団と関係なくいとなまれる生活の一部であっても、この義務は存在する。
 同一の義務がすべての人間を拘束する。とはいえそれぞれの義務は、状況によってさまざまにことなる行為に対応する。いかなる人間も、なんぴとであるかを問わず、いかなる状況にあっても、赦しがたい過ちをおかさずして義務の要請をまぬがれることはできない。ただし、ふたつの現実的な義務が事実として両立不可能であって、どちらか一方をあきらめざるをえない場合はこのかぎりではない。
 社会秩序における不完全性の度合いは、秩序に内在する両立不可能性の多寡によりはかられる。
 ただし両立不可能ゆえにあきらめざるをえない義務が、たんに事実として放棄されるにとどまらず、それが義務であることまで否認されるなら、そこには罪がある。
 義務の対象(オブジェ)となるのは、人間的な事象においてはつねに個としての人間である。あらゆる人間にたいして義務が存在する。人間であるというただ事実ゆえに。そこに他の条件はいっさい介入しない。たとえその人自身がいっさいの義務を認めないとしても。
 この義務はいかなる現実の状況にも依拠しない。法解釈にも、慣習にも、社会構造も、力関係にも、過去からひきついだものにも、歴史の想定された方向性にもいっさい依拠しない。いかなる現実の状況も義務を要請しえないのである。
 この義務はいかなる協定にも依拠しない。協定であれば、当事者の意向しだいで修正が可能である。一方、義務にかんしては、当事者の意向にいかなる変化が生じようと、いささかの修正も加えられることはない。
    --シモーヌ・ヴェイユ(冨原真弓訳)『根をもつこと(上)』岩波文庫、2010年。

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珍しく朝から仕事に取りかかる宇治家参去です。
来週から授業が始まるのですが、その仕込みを少々……というところでしょうか。

……というよりも授業開始日を失念していたというのが正直なところですが、昨年度のまんまを使うわけにもいきませんし、それが学生さんたちに対する「責任」でもあり、自己自身の存在根拠における「義務」でもありますので、ただもくもくと推敲を遂行する昼下がりでございます。

市井の職場のほうもそのへんのことを想定せずに仕事を組みましたので……トホホ。来週の週末まで休みがなし!という状況で、本日は細君の実家に帰省していた息子殿も東京へもどってくるわけですので、騒がしくなりますが、もくもくと推敲を遂行するほかありません。

教師としての私。
父親としての私。
良人(おっと)としての私。

完全にその義務を遂行することはできませんが、すべてを放擲してしまうと、それはヴェイユ(Simone Weil,1909-1943)のいう「罪」にもなりかねません。

ひとつひとつの存在のあり方がその存在を規定する「人間」そのものの存在根拠を形作るはずですから、「罪」を甘受してしまうということは、そうした枠組みをとっぱらったひとりの人間であることから「降りてしまう」ことにもなりかねませんので、チトない頭を絞る日々というところでしょうか。

ただ、重い気分になっても仕方ありませんので、楽しむように推敲を遂行している最中です。

で、その最中に、宅急便のピンポンです。

扉をあけると注文していたスプリング・コートが到着しておりました。

安物ですが正絹紬のステンカラーコートです。
着物の紬地で仕立てたコートなのですが、絹ですのでおどろくほど「軽い」コートです。

4月はこのコートで軽快に軽やかに「義務」を全うしていこうかと思います。

ただ、幸いなのは、細君の留守中……息子殿を迎えに行った後……だったということです。

細君の在宅時に配達などあろうものならば、何を言われるのかわかったものではありません。

大地も世界も真理も天も……これぐらいの「罪」は赦してくださるでしょう。

……といわけで、警戒に軽快に推敲を遂行する作業に戻ります。

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