「驚異(タウマイゼン)の情(こころ)」
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実にその驚異(タウマイゼン)の情(こころ)こそ智を愛し求める者の情なのだからね。つまり、求智(哲学)の始まりはこれよりほかにはないのだ。
--プラトン(田中美知太郎訳)『テアイテトス』岩波文庫、1966年。
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どうも宇治家参去です。
眠いです……が、がんばります。
火曜になんとか! 哲学の第二講義を終えました。
ぐったりと疲れましたが、心は春風のごとくここちよい具合です。
哲学とは、フィロソフィアというギリシア語に由来しますが、これは、「~を愛する」というフィロと、「智慧」を意味するソフィアによる合成語です。
要するに哲学とは、「智慧を愛する」学問というわけです。
その意味では、教室とか教材とか限定されず、人はどこからでも「哲学する」=「智慧を愛する」ことが可能です。
では、どこからひとびとは「智慧を愛する」ようになるのでしょうか。
すなわち、それは対象に対して「驚いた」ときなんですね。
何かに「驚く」からこそ、「それはなんやねん」となるわけです。
そこから「それ」に対する探求が始まるという寸法です。
ですから、S短大での授業では、「智慧を愛する」をテーマにしたレポートを学期末に提出するようにしておりますが、それは、、、
「みなさん、自分が一番関心があることってなにかありますよね。まあ、この場合一番でなくてもいいですが、それをちょっと探求してみませんか?」
……ってことで、こちらから議題をふるわけではなく、ひとりひとりに、自分が深めたいことを「調べて」「書き」「発信(=レポート化)」する課題を貸しております。
それをガイダンスで紹介するわけですが(第二講義でも第一講義を履修していないひとがいるので、ちょいとフォローをしますが)、、、
結構、「レポートあるよん」
……ってやりますと、
「うぇ~ん」
……ってなってしまうパターンが多いのですが、
学生さんからのリアクションペーパー(授業感想)を読み直しておりますと、存外に、
「さっそくレポートの調査はじめました」
「レポートが楽しみです」
……っていうのが、おおく、、
まさに「驚異(タウマイゼン)の情(こころ)」を抱いてしまった宇治家参去です。
7月までの短い期間ですが、お互いに充実した教室にして参りたい、そう決意した一日です。
さて……。
ハイ、ひとつの授業は終わりましたが、明日から……もとい、本日から、千葉のT短大にて今度は「倫理学」の講義です。
さきほど、ようやくパワーポイントが完成しました。
……ってことで、またまた気を引き締め直して挑戦の日々、の開始です。
この初回の講義が済みますと、週末は福岡にて通信教育部の「倫理学」の講義です。
ぶっちゃけ、GWの折り、法事で実家へ帰省する以外に、なんとなく休日がなさそうなのですが、なんとか、やっつけていこうと思います。
去年の自分よりも今年の自分に関して、まさに「驚異(タウマイゼン)の情(こころ)」を明年いだきたいものですので、チト、エンジンにハイオクガソリンを注入しようかと思います。
つう、わけで、本日はハンブルクの「Holsten Premium」でもやりましょうか。
800年の歴史を誇る本格的ドイツビールなのですが、こういうものも輸入されているものなんですねえ。
まさに「驚異(タウマイゼン)の情(こころ)」がフル回転でございます。
「ビール純粋令」に準拠して大麦、ホップ、水のみで製造されているビールなわけですが、そのおかげで、風味とコクが素晴らしいです。
ま、あまり飲み過ぎずに、本日の授業を最高のものにしてまいろうかと思います。
最後ですが……
そうそう、
昼食を学食でやりましたが、日替わりメニューの「鯖の唐揚げ・きのこの餡かけそーす和え」なかなかでございました。
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テアイテトス (岩波文庫 青 601-4) 著者:プラトン |
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真理の本質について―プラトンの洞窟の比喩と『テアイテトス』 (ハイデッガー全集) 著者:ハイデッガー |
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プラトン全集〈2〉クラテュロス・テアイテトス 販売元:岩波書店 |
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