「智見や真理やまた自分の霊魂を出来得るかぎり善くすること」を気にかけたい昼下がり
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「アテナイ人諸君よ、私は諸君を尊重しかつ親愛する者であるが、しかし諸君に従うよりもむしろいっそう多くの神に従うであろう。そうして私の息と私の力のつづく限り、智慧を愛求したり、諸君に忠告したり、諸君の中のいかなる人に逢っても常に次の如く指摘しつつ、例の私の調子で話しかけたりすることをやめないであろう。『好き友よ、アテナイ人でありながら、もっとも偉大にしてかつその智慧と偉力との故にその名最も高き市の民でありながら、出来得る限り多量の蓄財や、また名聞や栄誉のことのみを念じて、かえって、智見や真理やまた自分の霊魂を出来得るかぎり善くすることなどについては、少しも気にもかけず、心を用いもせぬことを、君は恥辱だとは思わないのか』と。」そうしてもしその時諸君のうちの誰かが、これに講義して、自分はそれを気にかけていると主張するならば、それでも私はすぐには彼を放さずにまた自分もそこを動かずに、彼に質問し、彼を精査しまた厳しく試問し、そうしてもし彼が徳(アレテー)を持たずして持つと主張すると私が認めたならば、私は、彼は最も貴きものを最も価値なきものと做し、かえって価値少なきものの方を高く評価するといって彼を非難するであろう。私はいやしくも逢う人ごとに、老人にも青年にも、異邦人にも同市民にも、そういう態度をとるであろう。
--プラトン(久保勉訳)「ソクラテスの弁明」、『ソクラテスの弁明 クリトン』岩波文庫、1964年。
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ソクラテス(Socrates,469 BC-399 BC)は、かの有名なソクラテス裁判……「国家の信じない神々を導入し、青少年を堕落に導いた」として告発された裁判ですが、要するにソクラテスに対する嫉妬から画策された悲劇……において、自己の所信を力強く表明したことで有名です。
人間は何をもっとも大切にしなければならないのでしょうか。
ソクラテスによれば、「智見や真理やまた自分の霊魂を出来得るかぎり善くする」ことこそ第一義であり、そのことを忘却し、「出来得る限り多量の蓄財や、また名聞や栄誉のことのみを念じて」血眼になっていた当時のアテナイ人たちを手厳しく批判しました。
ソクラテスは「汝自身を知れ」をモットーにしましたが、その言葉にも見られる通り、人間はもっとも大切な自分自身、すなわち「魂」を問題にしなければならない、そうアテナイ人たちに語りかけたわけですが、その言葉は彼らの胸をうつことがなく、裁判は死刑の宣告をもって終了するわけで・・・、このあたりの消息は現今の状況においても相も変わらぬ悲喜劇として存在しているのかもしれません。
ソクラテスの魂の叫びが2000年の時代を超えて今なお現代のひとびとの心に響くのはここにその理由が存在するのかもしれません。
さて……昨日。
ある学生さんから、お宝を頂戴しました。
ひとつは、桂新堂(愛知県)の海老せんべい。
五月のこどもの日を意匠した「端午の節句」というとてもかわらしいおいしいせんべいです。これは小学校に入学した息子殿へのお祝いでした。
ありがとうございます。
も、ひとつは、日本酒の大好きな宇治家参去に、日本酒(一升瓶)を一本。
ぬわんと! 「庭のうぐいす」(福岡県/合名会社山口酒造場)ですよ!
やさしく爽やかな米香りと繊細な酸味が調和した辛口の味わいで大好きな特別純米酒です。
ありがとうございます!
いや、ほんと、ありがとうございました。
宅急便の荷物を開封しながら、ウ○コのような宇治家参去に対してご進物をわざわざ送ってくださり、①いやぁ~ア申し訳ないナァ、と思うと同時に〝浅はか〟をもって〝うり〟にする宇治家参去ですので、②うれしいのぉ~、とも思ってしまった次第です。
で……。
その様子を眺めていた細君からいつも苦言で手厳しく弾劾される次第です。
要するに、学生さんに対して何かを残すべき……例えば太宰治(1909-1948)場合でした「心と頭に残る〝砂金〟」ということでしょうが……教師が、学生さんに何も残さず=贈らず、学生さんから何かを贈って(=残して)もらって喜んでいるようでは、いったいなにをやっているんだ……という訳でして・・・。
要するに、「教師として恥辱だとは思わないのか!」
とほほのほい。
いや、しかし、うれしいのはうれしいんですよ。
ですから、また何か残すようにがんばります。
ただ、しかし、ソクラテスに糾弾されたアテナイ人のことは嘲り笑うことはできないようですね。
『好き友よ、アテナイ人でありながら、もっとも偉大にしてかつその智慧と偉力との故にその名最も高き市の民でありながら、出来得る限り多量の蓄財や、また名聞や栄誉のことのみを念じて、かえって、智見や真理やまた自分の霊魂を出来得るかぎり善くすることなどについては、少しも気にもかけず、心を用いもせぬことを、君は恥辱だとは思わないのか』
これでは我が家はどちらがソクラテスでクサンティッペ(Xanthippe,生没年不詳、ソクラテスの妻)なのかわかりません。
※ただべつに多量の蓄財もありませんし、名聞や栄誉も念じてはおりませんが(苦笑)。
ソクラテスは、「ぜひ結婚しなさい。よい妻を持てば幸せになれる。悪い妻を持てば私のように哲学者になれる」と語ったそうですが、この言葉だけは細君に開封することはできませんね。
ソクラテスが愛情を込めてアテナイ人を弾嘩したように、すぐに〝逸れて〟いってしまう宇治家参去を修正してくれるという意味では、善いわけですからねえ。
ただ、よい妻にせよわるい妻にせよ、ひとはいろいろな人間と向かい合うと〝哲学者になれる〟のかもしれません。
と・も・あ・れ、高価なお菓子と日本酒を贈ってくださいましてありがとうございました。
何度もくりかえしになりますが感謝に堪えません。
この感謝の念を忘れずに、一剣を磨きつついや増して精進して参ろうと思います。
本当に、ありがとうございました。
ソクラテスの弁明・クリトン (岩波文庫) 著者:プラトン |
ソクラテスの弁明・クリトン (ワイド版 岩波文庫) 著者:プラトン |
ソクラテスの弁明・クリトン (講談社学術文庫) 著者:プラトン |
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