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「與へられた不可解のものをより明瞭なものによつて理解する」練習

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4 世界観の形成法則
 大いなる印象はいずれも、夫々の側面から人に生を示す。かくて世界は一の新しき照明の内に入り来る。かかる経験が繰り返され結合されることによつて、生に対する吾々の気分が生ずる。感情的な人々または思索的な人々に於ては一定の生関係から生の全体が着色され、解釈される。即ち一般的生活気分が生ずる。この気分は、生が人に新しき相を示すに従つて変ずる。しかし、各個人はその個性に応じて夫々一定の生活気分をもつてゐる。或者は魅惑強き感覚的事物に執着し、さうしてその日その日を享楽の中に過してゆく。他の者は、偶然と運命の只中にあつて、彼等の存在に永遠性を與へる偉大な目的を追求する。また己が愛するものとか、所有するものの滅び易きことに耐へ切れず、従つて生を価値なく空虚と夢幻とで織りなされてゐるものと観ずるに至り、或ひはかかる現世を越えて何か常住のものを求めんとする様な性質の人がある。大いなる生活気分の中でも最も包括的なものは、楽天観と厭世観である。それらはしかしさらに様々の色合に分たれる。かくて世界は、それを傍観者として眺める人にはよそよそしくみえ、変転万化の観せ物として映る。これに反して、ある生活計画に従つて秩序よく自分の生活を導いてゆく人には、同じ世界が親しく気楽なものとなつてくる。彼は世界の内にしつかりと立つてをり、世界の一員である。
 これらの生活気分、世界に対する態度の無数の色合が、諸々の世界観の形成に対する底層をなしてゐる。次に世界観に於ては、世界に対する各個人の様々な基礎であるところの諸生活経験をもととして世界の謎の解決の試みがなされる。ところでこれらの解決の試みの高級な形式の中でも殊に一つの方法を特筆せねばならぬ。即ち、與へられた不可解のものをより明瞭なものによつて理解するといふことがこれである。明瞭なものが不可解のものの理解の手段、または説明の根拠となる。科学は分析し、さうしてかく分析された諸々の等質的な事実からそっれらの問いの普遍的関係を展開する。ところが宗教、詩歌及び原始的形而上学は全体の意義と意味とを言ひ表す。前者は認識し、後者は理解する。世界の様々の存在をより単純なものによつて説明するこの種の世界解釈は、既に言語に於ても現れてゐるが、さらに比喩や擬人法や類推に於て発展する。比喩はある観念をそれに似通つた、何等かの意味でそれを一層分りよくする他の観念で言ひ代へるのであり、擬人法は擬人化することによつて手短なものとし、分り易くするのであり、また類推は類似にもとづいてよく知られたあるものから未知のものを規定するものであり、従つて既に科学的思惟に接近してゐる。宗教、神話、文学または原始的形而上学が分り易くかつ感銘深きものたらんとするときは、いつもこの方法によるのである。
    --ディルタイ(山本英一訳)『世界観の研究』岩波文庫、1935年。

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基本的にどのような世界観をもつことが重要なのか……そのことを仕事しながらよくよく痛感します。

世界観とはいってみれば、その人間の世界に対する精神的な態度と広くとらえることが可能ですし、言葉を換えて表現するならば、あらゆる対象との関係性の問題になってくるかと思います。

この関係性において大切なのがまさに対象とどのような関係を結ぶのかということになりますが、対象を「目的」とするのか、「手段」とするのかにおいては大きく進路が変わってくることは言うまでもありません。

カント(Immanuel Kant,1724-1804)は『実践理性批判』(Kritik der praktischen Vernunft,1788)のなかで、人間は「手段」ではない「目的」であると喝破しましたが、人間そのものを「手段」としてしまう風潮が顕著な現今の世界において、ためいきばかりでてしまう毎日ですが、、、ためいきばかりついておりましても、体重が減る訳でもありませんし、心が軽くなるわけでもありませんので、そのへんを倫理学的アプローチにおいて、なんとやってやろうと、密かにもくろむ宇治家参去です。

……ということで、今春は、「櫻見(はなみ)」……いうまでもありませんが、櫻(はな)を見るということは酒が随伴してしかるべしというわけですが……は不可能だよな~ってことで、この週末が東京では最後の花見になっちゃうようなアってことで、酒を連れて行くことはできませんでしたが、ひとりで、櫻の咲き誇る公園にて、市井の職場への出勤途上に、昼食を取った次第です。

ここにおいては、形式的行為としては「櫻」や「酒」を「手段」として「楽しもう」という意味論構造があることは否定できませんが、実際に、「酒」をもたずに、パンと紅茶だけを持参して、櫻の樹下に暖をとると、そうした意味論的構造が払拭され、

そこにいること自体の「目的」だけで〝楽しく〟なってしまうのが不思議なものでございます。

近所の大きな公園における、たった5分の滞在ではございましたが、行き交うひとびと会話というBGMが心地よく、目に入る生命の息吹そのものが美しく、ひとつ感動してしまった次第です。

これがマア、本格派の詩人であったならば、ディルタイ(Wilhelm Christian Ludwig
Dilthey,1833-1911)の指摘するごとく、「酒」とか「櫻」とか、そうした定番のタームのみを使わずに、「即ち、與へられた不可解のものをより明瞭なものによつて理解する」ことが可能なのでしょうが、そこまではどうやら不可能であったようです。

ただ、同時にそれは「世界に対する各個人の様々な基礎であるところの諸生活経験をもととして世界の謎の解決の試みがなされる」わけですので、そのひとつの訓練にはなったとは思いますが、それ巧みに再現するのが大詩人・文豪というわけですが、そのもひとつ訓練をしようと、深夜にもかかわらず、櫻の彩りを思い出しながら一献献じている宇治家参去です。

むむっ!

……って閃きはなかなかでてきませんが、これはこれで、なかなかいいドリンキングタイムの現在です。

ま、これを丁寧に毎日繰り返しておりますと、「與へられた不可解のものをより明瞭なものによつて理解する」ことが可能なはず!ですから、なんといっても毎晩の晩酌を欠かすことができない!……って理由にはなりやアしやせんか?

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