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「学問の領域で「個性」をもつのは、その個性ではなく、その仕事(ザッヘ)に仕える人のみである」!

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 さて、学問上の霊感はだれにでも与えられるかというと、そうではない。それは潜在的な宿命のいかんによって違うばかりではなく、またとくに「天賦」のいかんによっても違うのである。これは疑うべからざる事実であるが、この点と関連して--といってもこの事実を結局の根拠としているわけではないが--近ごろの若い人たちのあいだでは一種の偶像崇拝がはやっており、これはこんにちあらゆる街角、あらゆる雑誌のなかに広くみいだされる。ここでいう偶像とは、「個性(ベルゼンリヒカイト)」と「体験」のことである。このふたつのものはたがいに密接に結びつく。すなわち、個性は体験からなり体験は個性に属するとされるのである。この種の人たちは苦心して「体験」を得ようとつとめる。なぜなら、それが個性をもつ人にふさわしい行動だからである。そして、そいれが得られなかったばあいには、人はすくなくともこの個性という天の賜物をあたかももっているかのように振舞わなくてはならない。かつてはこの「体験」の意味での「センセーション」ということばがドイツ語的に使われたものであった。また、「個性」ということばも、以前にはもっと適切な表現があったように思う。
 さて、お集まりの諸君! 学問の領域で「個性」をもつのは、その個性ではなく、その仕事(ザッヘ)に仕える人のみである。しかも、このことたるや、なにも学問の領域ばかり限ったことではない。
    --マックス・ウェーバー(尾高邦雄訳)『職業としての学問』岩波文庫、1980年。

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ようやく仕事の区切りがつきました。
今週は市井の職場の休日も変則で、なおかつ学問の提出物の締切なんかの副産物的な仕事が山積しておりましたが、ようやく仕事の区切りがひとつつきましたので、昨日は26時に業務を完了し、ひさしぶりにゆっくりと日本酒を味わわせて戴きました。

ちょうど細君が毎月1本、地酒を購入してくれるのですが、新潟の諸橋酒造株式会社の「越の影虎」を今回は準備していてくれたようです。

「越の影虎」はこれまで何度も飲んでおり、「間違いのない酒」というのは承知しているのですが、何度も同じものだと、すこし「またかいな」的な感慨を抱かざるを得ないのですが、少しそうした想念が浅はかでした。

これまでやったのは純米酒×2、なまざけ×1、季節もののにごり酒×2、でしたが、今回も「純米酒」かなと思いましたが、浅はかでした。

「越の影虎 龍」

純米酒よりはランクの劣る「晩酌酒」という部類になりますが、封を切って、ひとくち口にしますと、値段の割には、なかなかいける……という飲み応えで正直、驚いた次第です。

クセのないさらりとした味わいなのですが、次から次へと盃がすすみ、あっという間に飲み干してしまったわけで……、寝たのが5時過ぎでしたので、昼過ぎに起床してしまいました……が、そういうのも大事でしょう。

さて……。
昼から来週の授業の仕込みをしていたのですが、さきほど完了。
これから、学術論文のエントリーシートを作成します。
エントリーが月末締切ですが、提出は締切は9月末となります。

学問の仕事は大きくわけると教育の側面と研究の側面が車輪の両輪となっているわけですが、なかなかこれをバランスよくやるというのは実に難しいものです。

とくに宇治家参去のような身分、すなわち吹けば飛ぶような非常勤というのは、だいたい他にも仕事をしますので、①非常勤としての教育業務、②タツキをえるための市井の仕事のパーセンテージが高く、③研究活動という部分が、援助も保証もなく自分自身で、マア、自腹かつ、自分で時間をこじ開けて探究していかなければなりませんので、これがディスアドバンテージとなってしまうわけで、正直、なかなか時間を確保して、丁寧に探究することが、現実には困難です。

しかしながら、「まあ、しょうがねえや」ってやっていきますと、どんどん負のスパイラルに陥ってしまいますので、全部はできないにしても、ある程度死守する生命線は守っていかなくてはなりませんので、自分としては、「年に1本は論文を書く!」というのをデッドラインにしておりますので、ここは必ず守っていきたいと思います。

ま、嘆いても、まさに「しょうがねえや」ってことですので、チトこれから、エントリーするための要旨を作成しようかと思います。

ただもう少し生産性を高めればよいのですが、もともと、学問向きではないのかも知れませんし、才能があるとも個性があるとも思えませんので、なかなか生産性を上げることができないわけで、まあ、それゆえにアカデミズム底辺でとぼとぼと歩いているという状況ですが、歩み続けるというのは大事かもしれませんネ。

なにしろ、かのマックス・ヴェーバー(Max Weber,1864-1920)が励ましてくれるわけですから!

「学問の領域で「個性」をもつのは、その個性ではなく、その仕事(ザッヘ)に仕える人のみである」!

さて、ザッへへと戻ります。

学問に限らず生活の局面においても「個性」だと「体験」だとか「天賦の才」だといった恣意的な概念に振り回され、「オレだめなんだよなア~」ってなることがあるかもしれませんが、そうした「個性」にしても「体験」にしても、そして「天賦」といった部分も「仕事(ザッヘ)」に“仕える”ことによって展開していくものだと思います。

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