学問は「なにを意欲しているか」を説明してくれたので、寝るという選択を決断します。
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経験科学は、なんぴとにも、なにをなすべきかを教えることはできず、ただ、かれがなにをなしうるか、また--事情によっては--なにを意欲しているか、を教えられるにすぎない。
--マックス・ヴェーバー(富永祐治・立野保男訳、折原浩補訳)『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』岩波文庫、1998年。
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最近、気になることが三つあります。
一つは、混迷する政界に鳩山由紀夫(1947-)センセーがどのようなけじめをつけるのかということ。
一つは、胡椒を鼻で吸うとどうして大きなくしゃみをするのかということ。
一つは、バナナの皮を踏むと、どうして転ぶのかということ。
経験科学--ここでは講義の意味で捉え、狭義の自然科学のみならず社会科学もいれましょう--はその理由を説明してくれるわけですが、意味はおしえてくれません。
三つの人生の大問題を解明するためには、いま、何がひつようなのでしょうか。
まさにヴェーバー(Max Weber,1864-1920)がいう「なにをなすべきか」というところですが、
それは……
「寝る」
……というところでしょうか。
でわ、だいぶ壊れてきているので、寝ます。
社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」 (岩波文庫) 著者:マックス ヴェーバー |
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