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しかしそれは要するに無責任な野狐禅か無定見な事大主義でしかない

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 人はしばしばし悟り顔をしてそれを拘泥のない生き方だという。成るようにしか成るものではない。無益な抗争をやめ、小乗的差別相に捉わるることをやめて、大乗的見地に立ち、清濁併せ呑む大度(たいど)を示せという。しかしそれは要するに無責任な野狐禅か無定見な事大主義でしかない。問題は働くことであって見ることではない。われらは生活戦場の戦闘員であってただの観戦武官ではない。人生における二元相剋のこの深刻なる戦いを如何に観ずるかではない。如何に戦うかである。深刻に実践的な問題である。しかして実践的な問題は実践によりてのほか解決できない。観照では解決できない。二と一を観じても二は一にはならない。二は飽くまでも二である。現に刻々われらの衷に又外に二元相たたかいつつある。この二つのうちのいずれに味方し、いずれを抑えようか。その差し迫った実践問題が現実の問題なのである。しかるをこの相剋に超然たれと言うのは、実践的には問題を回避するものであって、決してこれを解決するものではない。さればこそこの超然主義の実践的成果は、無解決のままなる事大主義的大勢順応より他のものであり得ないのである。現に見よ、したり顔なる野狐禅者流が妄りに大乗云々を口にしつつ、無恥無貞操なる時流便乗に得々たるもの数え難きを。
    --三谷隆正「幸福論」、『三谷隆正全集 第二巻』岩波書店、1965年。

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ここ数日内村鑑三(1861-1930)門下の文章を紐解くことが多いのですが、その一人・三谷隆正(1889-1944)の著作を片っ端から読み直しております。「一高(旧制第一高等学校)の良心」、「日本のヒルティ」と謳われ、温厚な人柄で知られた人物ですが、読み直しておりますと、かくかくたる熱い秘められたる魂というものをその文章から観じてしまいます。

たしかに温厚で人柄のよい人物として知られ、門下の中でも「群鶏中の一鶴」と認められるほど「白皙の美男子」だったようですが、魂は熱く、時代思潮と戦う人物だったんだなアと認識を新たにした次第です。

ただこのところ、ひじょーに忙しく、まあこれが「われらは生活戦場の戦闘員であってただの観戦武官ではない」というところの真相であり、本当は「観戦武官」として従軍したいところですが、そうもいかず「戦闘員」として不可避的にかり出されてしまうというわけで、例のごとく考察ができませんですいません。

ま、いずれにしましても、日本という国土世間で顕著にみられる「悟り顔をしてそれを拘泥のない生き方」という「大人の生き方」というやつは、「要するに無責任な野狐禅か無定見な事大主義でしかない」と三谷が断ずるとおりですから、時代に対するもどかしさや生活者として戦闘?するなかで、観ずる違和感については、「感傷」としての「観照」ですませることなく、実践の問題としてきちんと目を開いていかなければなと思う次第です。

--ということで、仕事へ戻ります。

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