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「弱さの露呈は、そのような情緒的なつまずきは、あらゆる人生において避けがたいこと」らしいっす

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 グラヴァーは話し終えると、トレイシーが何かを言うのを持った。そんなに多くを語ってしまったことを彼は悔やんでいた。気恥ずかしさを彼は感じていた。なにも自ら選んで犬になったわけではないのだ、そのような倒錯的変身の数々は必要性から生まれるものであって、決して嘆かわしいことではないのだということを、彼女にわかってほしかった。ときとして、人間であることへの怒りは、予期されるものを大胆に改変してしまうかたちで、もっとも精妙に顕在化されるのだ。なぜなら人々の自己などというものはほとんどうわべだけのものにすぎないからだ。その夜の最初のうちは悔恨の苦悶に沈み込みかけていたグラヴァーであるが、今では自分は正しいことをしたのだという誇りを感じていた。彼はトレイシーの瞼が閉じられているのを見た。彼女は眠ってしまったのだ。真実は耐えることのできるものであったのだ。そして新たなる夜の運命に彼女を安全に導き入れる必要性がその真実のとげをやわらげていた。朝早くふたりは目を覚まし、いつものように互いを見つめることだろう。彼がそのとき口にしたことは、もうふたりのあいだで持ち出されることはないだろう。それは慎み深さ故ではなく、あるいはまた相手を思いやってのことでもない。そのような弱さの露呈は、そのような情緒的なつまずきは、あらゆる人生において避けがたいことであるからだ。
    --マーク・ストランド(村上春樹訳)「犬の人生」、『犬の人生』中公文庫、2001年。

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今日のといいますか昨日の仕事……といいましてもタツキを得るための市井の職場ですが……もきつく、何度か段ボール箱を粉々に粉砕して、ついでにドラム缶を蹴飛ばしたところ、相手がわるかったのか、靴が粉々になってしまった宇治家参去ですが、中盤以降は、仕事もおちつき、平静?を取り直して、勇んで?休憩にはいって、活字に目を通すと自然と心が落ち着くのがどうも、不思議です。

ある意味では活字中毒なのか、それとも活字に救いをもとめているのか定かではありませんが、浅はかに〝物〟にあたったことに後悔するばかりです。

とりあえず、業務がすんでから……。

「ひとりで飲みに行きたい」

……との思念が強く、24時前からですかひとりで逝ってしまった次第です。

この「ひとりで飲みに行きたい」という感覚は、なんといえばいいのでしょうか。
飲兵衛だけに限られた現象ではない(飲兵衛でない場合は別の選択枝ということでしょうが)と至極実感する次第ですが、感傷から傷を癒そうとか、がんばった自分をほめてやろうとか、そうした作為的な感覚を超越したところにある「ひとりで飲みに行きたい」という感覚です。

たしかに、気の置けない仲間とわいわいがやがや飲むのもいいんです。
旅先で、気儘にやるのもいいんです。

しかし、それとはまったくことなる、すなわち、大勢でやるのでもなく、孤独を楽しみたいからやるのでもない、第三の道とでもいえばいいのでしょうか……、そうした「ひとりで飲みに行きたい」ってやつがあるんです。

表現したいのですが表現できない、つまるところ宇治家参去の語彙の貧弱さにわれながら辟易とする次第ですが、そうした超越論的な視座とでもいえばいいでしょうか、なんだか「ひとりで飲みに行きたい」ってやつがあるんです。

人間は現実生活世界から遊離して生きていくことは不可能なんですが、それを中空からふわふわと観察するように自己省察するとでもいえばいいのでしょうか、そうした契機が自分にとっては「ひとりで飲みに行きたい」というヤツです。

で、仕事が終わってからふらっといっちまいましたが、近所の「さかなや道場」です。

剣豪のごとき修行はしませんでしたが、サクッとかるく呑(や)らせて頂いた次第です。

ちょうど北海道特集?のようなものをやっておりましたので、まずは……

「室蘭風やきとり」でスタートです。
〝やきとり〟とのふれこみですが、これは〝室蘭風〟ですので、豚バラとタマネギのやき〝豚(トン)〟というわけですが、あま~い、たれと豚とタマネギのすてきなハーモニーがが疲れた体に滋養をあたえてくれるというものです。

ついでに頼んだのが、〝たこザンギ〟。
ようするにタコの唐揚げなのですが、油によってタコの旨みが凝縮されているのをゆっくりと味わいつつ、楽しませて戴きました。

ビールは生ビールの大ジョッキをゴッキュリってやってから、、、どうせ帰宅して風呂上がりにまたやるから、日本酒で!ということで、宮城県の超辛口「雪の松島」を頼んで、運ばれてきた「びんちょうハラス焼き」の脂と真剣勝負にて、

「いざ」

……って気合いをいれた次第です。

マグロの脂は確かに〝生〟もいいのですが、ほどよく焼き上げた素焼きもなかなかのものでして、超辛口の引き締まった香りが磯の甘みをとぎすまさせるひとときに、幸せを感じてしまうというものでございました。

ま、それだけでサクッと帰宅しましたが、「犬の人生」でさりげなく表現されている通り「それは慎み深さ故ではなく、あるいはまた相手を思いやってのことでもない。そのような弱さの露呈は、そのような情緒的なつまずきは、あらゆる人生において避けがたいことであるからだ」ですから、「ひとりで飲みに行きたい」ってえ衝動も「人生に措いて避けがたいこと」ってことなのでしょうかねえ。

……ってえことで、もちょっと仕事してから寝ます。

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