« 「自由に働き得た『余地』」に関する一考察 | トップページ | 是雪の浅き国の楽み也 »

「もし人を憤激させ、抗議と反抗を呼び起こし、弾圧の必要を生みだすようなものがなにもないとするならば」

01

-----

 レーニンは国家の死滅を論じつつ、「もし人を憤激させ、抗議と反抗を呼び起こし、弾圧の必要を生みだすようなものがなにもないとするならば」、共同生活の掟を守るという習慣でもって強制のあらゆる必要性をなくすことができるとのべた。このもしに全核心がある。ソ連の現在の体制はいたるところで抗議を呼びおこしている。抗議は抑えつけられれば抑えつけられるほど熾烈になっていく。官僚は強制の機関であるだけでなく、不断の挑発の源でもある。貪欲で嘘つきで厚顔無恥な支配者カーストの存在そのものが、隠然たる怒りを生みださずにはいない。労働者は物質的状態が向上しても権力と和解しない。そのことで労働者は逆に尊厳を高め、全般的な政治問題にむけてみずからの思考を解放することによって官僚との公然たる衝突を準備する。
 更迭されることのない「指導者」たちは、「学習」、「技術の習得」、「文化的自己修養」の必要性とか、その他のきれいごとを好んでくりかえす。しかし当の支配層自身が無学で教養が乏しく、なにものもまともに学ぼうとせず、不誠実で、態度粗暴である。それだけに社会生活のすべての領域を後見し、協同組合の商店ばかりでなく音楽の作曲まで牛耳ろうという官僚の欲望はいっそうがまんのならないものである。ソ連の国民は簒奪者カーストへの恥辱的な隷属から解放されないかぎり、より高い文化の段階にのぼることはできない。
 役人が労働者国家を食いつくすか、それとも労働者階級が役人をしまつするか? これが現在の問題であり、ソ連の命運はこの問題の解決いかんにかかっている。
    --トロツキー(藤井一行訳)『裏切られた革命』岩波文庫、1992年。

-----

10年ぶりに本棚からトロツキー(Lev Davidovich Trotsky,1879-1940)を引っ張り出してきて読んでおりますが、考えさせられることが多いなあと実感する宇治家参去です。

革命史においては、赤軍創始者として武闘派的なイメージが払拭できないところがありますが、文芸評論家としての顔ももっておりますので、状況認識と、そこからの未来図式への組み立てには卓越したところがあり、精緻な理論家というよりも、理論の実践家としての側面に、ひとつの特色を見いだすこともできるのではないだろうかと思われます。

さて、うえの文章は、ソ連(当時)を追放後、スターリン体制を批判するために書かれたものですが、ここでトロツキーが警鐘をならしているのは、スターリン体制におけるソ連だけの問題ではないだろうと考えさせられる次第です。

官僚主義批判と読んでもいいのでしょうが、優秀な官僚を使いこなせない本朝の政治家たちの姿をみるにつけ、「はあ、たしかに」と思わざるを得ません。

無能な政治家が国家を食いつくすか、それとも民衆が政治家をしまつするか? これが現在の問題であり、命運はこの問題の解決いかんにかかっている……というところでしょうか。

政権交代は必要不可欠なことは存知なのですが、昨今の言動をみるにつれ『裏切られた政権交代』と思わざるを得ず、気分はまさにトロツキーというところでしょうか。

02 03

 裏切られた革命 裏切られた革命
販売元:セブンネットショッピング(旧セブンアンドワイ)
セブンネットショッピング(旧セブンアンドワイ)で詳細を確認する

|

« 「自由に働き得た『余地』」に関する一考察 | トップページ | 是雪の浅き国の楽み也 »

現代批評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/451663/34834250

この記事へのトラックバック一覧です: 「もし人を憤激させ、抗議と反抗を呼び起こし、弾圧の必要を生みだすようなものがなにもないとするならば」:

« 「自由に働き得た『余地』」に関する一考察 | トップページ | 是雪の浅き国の楽み也 »