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「そこへハイゼンベルクの革命が起こって、すべてを問い直した」わけですが、、、激萎えです。

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 科学的決定論と科学的非決定論のあいだの争いは、いわば停戦状態にあった。そこへハイゼンベルクの革命が起こって、すべてを問い直したのである。この革命は、まさしく、客観的な非決定性を確立しようとする。ハイゼンベルク以前には、独立変数にかんする誤差は独立であると仮定されていた。各変数について別々に研究し、それをますます精確なものにしていくことができた。実験家は諸変数を孤立させ、その一つ一つについての研究を完全なものにしていくことが、いつでもやれると思い込んでいた。つまり、彼は抽象的な実験に信をおいていたわけで、測定が障害に出会うとすれば、それは測定手段が不十分だったためであるとしか考えられなかった。ところがハイゼンベルクの不確定性原理があらわれて、誤差の客観的な相関が問題になる。
    --G・バシュラール(関根克彦訳)『新しい科学的精神』ちくま学芸文庫、2002年。

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基本的にどこでも使うファイルは、16GのmicroSDにぶち込んで利用しております。
ただぶっこわれる心配もありますので、徐々にDropBox、Sugarsyncへとファイルを振り分けてオンラインストレージで管理しようと引っ越しはしていたのですが、、、

昨日、何が原因かわかりませんが、microSDがクラッシュしてしまったようでございます。
おバカですので、古いファイルから引っ越しをしておりましたので、作業途中のファイルはまだ引っ越しが済んでいない状況でしたので・・・

取り急ぎ、復旧ソフトをダウンロード……この7700円の出費も痛いのですが……購入して、復活を試みたのですが……。

一部はサルベージできましたが、完全には復活できず!

激萎えです。

とりあえず、完全バックアップ(外部HDD)で残していたデータはありますので、そこからもう一度組み立て直すしかないのですが・・・

激萎えです。

詩的想像力を重視した科学哲学者ガストン・バシュラール(Gaston Bachelard,1884-1962)がヴェルナー・カール・ハイゼンベルク(Werner Karl Heisenberg,1901-1976)の革命的業績を美しい文章で表現しておりますが、科学的決定論がどう言おうと、科学的非決定論がどう言おうと、そして「ハイゼンベルクの不確定性原理があらわれて、誤差の客観的な相関が問題」になろうとも、、、

激萎えです。

……ってことで萎んでしょうがないのですが。

亀には、こうした悩みも科学的決定論も、科学的非決定論も、そしてハイゼンベルクの不確定性原理も関係ないのでしょうねえ。

これが人間の人間たるゆえんというところでしょうか。

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