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「自由に働き得た『余地』」に関する一考察

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 仏像の相好はただ単純な人体の写実ではなく、非常な程度の理想化を経たものである。そうしてその理想化は、ギリシアの神像においては人体の聖化を意味しているが、仏像においては「仏」という理念の人体化を意味している。が、もとよりそれが造形美術である限り、芸術家は、この理念の人体化に際しても、必ずや彼自身の人体の美の観照を基礎としているに違いない。儀規(ぎき)によって明確に規定され、また絶えず伝来の様式を踏襲しているにかかわらず、東洋各国の各時代の仏像がおのおのその特殊な美をもつことは、単に造像の技巧の変遷のみならず、またこの芸術家の独自なる創作力を考えずには、理解し得られないであろう。自分はここに厳密な様式伝統の束縛にかかわらず、なお芸術家が自由に働き得た「余地」を発見し得ると思う。そうしてこの「余地」こそは、実はおのおのの国と時代の仏像を、その芸術的価値において根本的に規定するものである。
    --和辻哲郎「仏像の相好についての一考察」、『日本精神史研究』岩波文庫、1992年。

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和辻哲郎(1889-1960)が仏像の相好の変遷や日本美術、文芸について、ヘーゲル的歴史主義の精神史(Geistesgeschichte)的立場から、絶妙な筆致で描いた『日本精神史研究』をふたたびひもといております。

たしかに仏像の相好は、「儀規(ぎき)によって明確に規定され、また絶えず伝来の様式を踏襲している」ようにがっちりとした枠組みによってその造像が規定されているわけです。しかしながら、それにもかかわらず、「自由に働き得た『余地』」があるからこそ、伝統と創作性の創造力が絶妙な握手を交わし、芸術的価値が枠組みや独創性から爆発していったんだよなあ……などと思う次第ですが、、、翻って現代社会を振り返ってみますと、芸術的分野に限らず、教育、政治、社会、生活などあらゆる分野で「自由に働き得た『余地』」がなくなりつつある……そう実感する宇治家参去です。

ま、そこに、限界と空転のひとつの原因があるのではなかろうかと推察される次第ですが、広く言うならば、社会全体としての余裕というものが喪失しつつあるというところでしょうか。

さて……。
仏像の相好を考察しておりますと、なにやら、造像の大国・中国の料理が食べたくなってしまいましたので昨夜は近所のバーミヤンにいった……手近な近所にキチンとした中華屋さんがないので(涙)……次第です。

ファミレスとはいえ、やはりキチンと火力をつかって調理された中華はいいなと思いつつ、同時に、そういいましてもかなり日本ナイズされているという意味では、中国式の造像が日本式に転換していく過程と同じだわなと思いつつ、家族で楽しんだわけですが、、、。

「激辛」仕様にした「本格四川マーボー豆腐」は辛かった!
自宅ではカレーにしろ、マーボー豆腐にしろ、おこちゃま向けの激甘仕様になりますので、ここはひとつ「激辛」にいたしましたが、「やみつきになる」辛さでした。

生ビールは2杯頂きましたが、辛さのお陰ですぐさま蒸発するわけです。
〆は何にしようか迷ったわけですが、激辛故に判断を迷わされたのでしょうか、梅酒ロックが100円でしたので、マアこれはお財布にも優しい!ということで、10年ぶりぐらいに頂戴しましたが、

「甘かった!」

ま、いずれにしましても、中華料理をうたいつつ、石仏とタリバンの破壊で名高い、アフガニスタンの都市の名前である「バーミヤン」が名前になっているのはなぜだろう……とひとつ考え込んでしまったわけですが、それはそれでひとつの「自由に働き得た『余地』」ということでしょうか。

ま、いずれにしましてもリーズナブルに楽しませて戴きましてありがとうございます。

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