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「正しい人間主義というのは自動的に始まるわけではない、とお答えしておきましょう」。

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 E あなたに時々「反人間主義」というレッテルが貼られたことがありますが、それは理解できますか?
 L=S 正しい人間主義というのは自動的に始まるわけではない、とお答えしておきましょう。人間を世界の他のものから切り離したことで、西洋の人間主義はそれを保護すべき緩衝地域を奪ってしまったのです。自分の力の限界を認識しなくなったときから、人間は自分自身を破壊するようになるのです。強制収容所をご覧なさい。また別の平面では、環境汚染があります。これは強制収容所ほど目にはつきませんが、しかし人類全体に悲劇的結末をもたらすのです。
    --レヴィ=ストロース/エリボン(竹内信夫訳)(遠近の回想』みすず書房、1991年。

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どうも宇治家参去です。

暦の上では、給料日後の最初の土日ということで、市井の職場で忙しい連日を過ごさせて頂きましたが、すこし、またまた「人間とは何か」について考える契機を頂いたようですので日記として残しておきましょう。
※twitter読者?には恐縮ですが同じネタになりますがご容赦を。ただもちっと詳論にはなりますが(苦笑)。

さて、本日は降雨との予報でしたが、なんとか東京では終日、その事態をさけることのできた一日でしたが、お陰でこちらはレジ地獄……というヤツでしたが、食品レジをずんやりと打っておりますと、怒声が彼方から聞こえるではありませんか!

「んだ、てめえー、 ぶっ○ろすゾ!」
「論理的に悪いのはアナタでしょう」

どうも穏やかではない会話が木霊するではありませんか!

諍いのやりとりのボリュームが大きかった所為でしょうか。
レジに並んでいるお客様も顔をしかめるばかり……。

とわいえ、宇治家参去もレジ打刻中ですので、放置して仲裁にはいるわけにもいかず、、、(⇒ちょいとラッキー?)

……ってところでしたが、上席のMgrが対応に入り、事案としては、なんとなく「クローズ」させることができたようでしたが、、、後で詳論をきくと、ちとドン引きといいますか、

「にんげんといういきものとは何ぞや」

……などと、紫煙をくゆらせつつ、頭を抱えさせて戴いた次第です。

今回の闘牛場に参加された面々は以下の通り!

30代(……たぶん同じ世代)、首まで入れ墨をいれているのですが、本業(893)ではない、いきがっているニイチャン。

しかも入れ墨は「入れ墨」ではなく、「プリント」であることが明らかですので、なんだかなアって感じで、「本業に失礼だろう」ってひとりつっこみを入れつつ、目の前のお客様のレジ応対をしていましたが、なんでそんな差違が見抜けるのか……ってツッコミはご容赦を……って、小学校の同級生のおじいさんが墨師でしたので……。

……もどります。

もうお一人は、あきらかに70オーヴァーの壮健なご老人。
ノーネクタイでしたがブラックスーツがちょいと鯔背を醸し出す、背筋の「ピーン」とした絵に描いたような「はっきりとものをいう」ような御仁でございました。
※みてくれで判断するのは、人間論的にはかなり問題のあることですが、目の前で見たわけで絵に描いたような典型的な事案であっただけに何も言えません。

さて……、

要するに、

その前者の似非893のプリント入れ墨ニイチャン、ちょいと酒もはいっていたようです。ご婦人とお買い物に来ていたようですが、レジを通った後、GMSは基本的にセルフですから、袋詰めをてまえでやってもらうわけですが、その袋詰め台(=サッカー台)で、購入後の商品を食らいつつ、座っていたんでやんす。

その目に覆うような光景を眼差した(@レヴィナス)壮健なご老人!

「それは違うだろー」

……ってことで、ひとこと「注意」をしたようですが、例の如く逆ギレ。

大声で騒ぎ出す始末ですが、似非893氏ですから、、

「ぶっ○ろすゾ!」

等々NGワード連発という有様でござんす。

上席のMgrが間に入り、結果としては「手が出る」ような事態には陥りませんでしたが、

昨年100歳で没したコレージュ・ド・フランス(Collège de France)教授、思想家のクロード・レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss、1908-2009)の回想録でのコトバ、すなわち「自分の力の限界を認識しなくなったときから、人間は自分自身を破壊するようになるのです」という一節をかみしめる次第です。

なんども詳論しておりますので詳細は措きますが、「人間とは何か」という問いが即自的な問いとして提示されるとき、存在のそのものの把握として、そこに「有限存在としての自覚」がない限り、人間の存在把握、了解というものは実のところ、うまく機能しないのでは……ふとそのことを再確認した次第です。

たしかに、人間は何でもできるのでしょうが、それと同時に何もできない……その翠点@南方熊楠を喪失した場合、とてつもなく恐ろしい事態を招来してしまうのではないか、そして最終的には、「人間は自分自身を破壊」してしまうのでしょう。

これは理念と現実の存在者との対峙の問題(理念による存在の規定と、存在からの理念の規定という問題)ではありませんが、自己自身の存在をどのように把握するかという意味では同じような性質を持っているのかも知れません。

似非893氏も人間であれば、注意したご老人も人間であり、その光景におびえているお客様も人間であれば、「直接対応しなくて、正直ホッとした」宇治家参去も人間であるわけですが、まあ、人間とは、いずれにしましても一様に定義できない存在であるけれども、その存在の自覚としての「凡夫の自覚」「被造物の自覚」というのはどこかになければ、簡単に「人間」という舞台から自ら降り、非・人間的な存在者として自らが振る舞ってしまうのかもしれません。

さて……。
繁忙タイムがすぎて、売り場の確認をしておりますと、近況の気になる後輩と遭遇!

「どうも」

……脇で少しコトバを交わして、

「近いうちに飲みに行くか!」

って声をかけると、

「じゃア、今日行きますか、自分大丈夫ですよ」

……ってことで、「今日は金ないし、すこし疲れて休みたいし……」って想念が経巡りましたが、そんなことをパロールしてしまいますと、「男が廃る」というわけで、

「よし」

……ってことで、24時頃から「呑みに逝って」しまいました。

なぜ逝くのか。

「正しい人間主義というのは自動的に始まるわけではない、とお答えしておきましょう」。

ほんとは、最近頭を抱えることが多くて、ただでさえキャパシティの少ない頭が悲鳴を上げているわけですが、あたまだけでなく財布も躰も悲鳴をあげてはいるのですが、そこで「もういいや」ってなったり、「関係ねえや」ってなってしまうと、人間存在の探究というものはおわってしまい、現実の存在者とは関係の薄い公定の主義主張のみが先行し、認識が存在を分断してしまうことが多々ありますので、そうした選択を避けながら、そしてその悲鳴を悲鳴で終わらせることなく、生きていく上でのなにがしかの糧にはしたいと切に願う宇治家参去です。

ただ、この相剋を超越するのはなかなか難しゅうござんすが、まさに「正しい人間主義」というものがどこかにでーんとあって、それが「自動的に始まるわけではない」ですから現実というフィールドワークのなかで考察し、実践していくほかありませんネ。

ま、ただ……、
①魚は少し干したやつが、かえって旨みが凝縮されている点を再発見したこと。
②近況の気になる後輩が元気だったこと。
③そして宇治家参去に会いたかったので、勤務先の店舗まで探しに来てくれた事。

このことは収穫であり、まあ、いろいろある人間生活世界ですが、まだまだ……

「捨てたものじゃアねえナ」

……と伝法な口調になってしまいましたが、レヴィ=ストロースの言葉はしっかりと受け止め、人間存在の探究を倦むことなく継続しなければと決意する宇治家参去でした。

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