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あぢさゐの八重咲くごとく弥(や)つ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ

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あぢさゐの八重咲くごとく弥(や)つ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ 橘諸兄
    --佐佐木信綱編『新訂新訓 万葉集 上』岩波文庫、1954年。

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どうも、宇治家参去です。

本格的に梅雨入りしたようで、曇天に押しつぶされそうな東京です。
雨がふるわけでも、日照るわけでもありませんが、ひがな一日蒸し暑い気候で、なんとも耐え切れません。

さっそく風呂から上がって恒例のいっぺえをやりはじめたことで、すこし、体と心の疲れが癒され、一息つく……そういう状況でしょうか。

元気なのは季節の花・紫陽花(あじさい)のようですが、さすがにうだるような蒸し暑さ、すこし元気のない花々もありましたが、紫陽花の花をみますと、

「もうすぐ、つらい夏が始まる」

……そのことが深く実感される次第です。

なにしろメタボリック星人と揶揄される宇治家参去ですから、日本特有の蒸し暑い夏というのは、まさに脂肪のコートを羽織って生活しているような状況ですから、ひどく苦しいわけなんです。

さて、紫陽花で気になりましたので、大好きな『新・古今和歌集』をひもといたところ、紫陽花を詠んだ和歌はひとつもなし!

次に好きな『古今和歌集』をもといたところ、こちらもにも一首もありません。

で、『万葉集』をめくってみたところ、ふたつほどありました。

冒頭に紹介したのは、橘諸兄(684-757)の和歌になります。

梅雨の季節に欠かせぬ風物詩なのですが、これほどまで人気がないといいますか、題材として扱われないことに驚くばかりですが、橘諸兄の一首は、紫陽花をめでたい花として詠ったもので、『万葉集』にしては意外にも気品にあふれる仕上がりになっており、はたまた驚く次第です。

ちなみ、『万葉集』、『古今集』、『新古今集』と比べた場合、その風情によって好みが分かれるところですが、宇治家参去は「八代集」の最後を飾る『新古今和歌集』がなによりも大好きです。

まあ、スノビズムを地でいく宇治家参去ですから致し方ありません。ただそこで見せてくれる技法・技巧、幽玄の美に関しては、他の勅撰和歌集の追随をゆるさぬ「仕上がり」になっており、そこに、唯美・情調を感じとってしまい、声に出して詠むたびに、そこはかとなく、喜びを感じてしまうという寸法です。

さて……。
今日も暑い一日でございました。
皆様方も明日へ疲れを持ち込まれませんように、わたしくしのほうで、懇ろに体内より冷たいアルコールにて消毒しておこうかと思います。

でわ。

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