« 第一の、そしてもっとも基本的な規準、それは、社会的諸事実を物のように考察することである | トップページ | 「その問いは、もはやたずねるべきことが何もない真夜中に、ひそやかな興奮に身をまかせて立てるひとつの問い」なのですが-- »

人間にとって最初に考えられる生命の唯一の目的は、彼個人の幸福であるが、個人にとっての幸福なぞありえない

01

-----

 人間にとって最初に考えられる生命の唯一の目的は、彼個人の幸福であるが、個人にとっての幸福なぞありえない。もし生命に何か幸福に似たものがあるとしても、そこにだけ幸福のありうる生命、すなわち個我の生命は、一挙一動ごとに、ひと呼吸ごとに、苦悩や、災厄や、死や、破滅に向かって、ひきとめがたい勢いでひきずられていく。
 そしてこのことはあまりにも明白であり、はっきりしているので、老若や、教養のあるなしにかかわりなく、ものを考える人間ならだれでも気づいている。この考えはきわめて単純で自然だから、分別ある人間ならだれでも心にうかべるし、大昔から人類にはわかっていた。
    --トルストイ(原卓也訳)『人生論』新潮文庫、平成十年。

-----

なにがどうというわけではありませんが、トルストイ(Lev Nikolajevich Tolstoj,1828-1910)が『人生論』のなかで論じているとおり、「生命の唯一の目的は、彼個人の幸福であるが、個人にとっての幸福なぞありえない」という点を昨今深く実感いたします。

たしかにその個別の存在者に即したといいますか、そのひとのみ代換不可能な、他者に還元不可能な幸福の開花……それをincarnationと表現できるかと思いますが……を否定することはできません。

その意味で「生命の唯一の目的は、彼個人の幸福」にあるのは間違いありません。

しかし、それと同時に、「個人にとっての幸福なぞありえない」というのも確かではないか……そう思われてしまいます。

語彙が貧弱なため、なかなかニュアンスが伝わりにくいのですが、単純化の誹りを承知で表現するならば、そうした個々人の還元不可能なその人に即した幸福というやつは、どうやら対他の世界との交渉を抜きには、成立不可能で、いわば網の目のなかの結合点としてそのひと自身性というものがincarnationされていく。そんなことを生活するなかで、感じてしまうんですね。

たしかに、「彼個人の幸福」追求は大切なのですが、それが「個人にとっての幸福」と同一視されたとたん、何か本末転倒してしまう……。

トルストイの表現を借りれば、「すなわち個我の生命は、一挙一動ごとに、ひと呼吸ごとに、苦悩や、災厄や、死や、破滅に向かって、ひきとめがたい勢いでひきずられていく」のではないかと思います。

そしてこのことは、たしかに「ものを考える人間ならだれでも気づいている」し、「この考えはきわめて単純で自然だから、分別ある人間ならだれでも心にうかべるし、大昔から人類にはわかっていた」のはわかっていたのでしょうが、単純であるがゆえに、なかなかそのことを忘れてしまう、見落としてしまうのかも知れません。

印象批判になってしまいますが、現代の特徴とは何かといった場合、基本的に分断知の世界であることは可能であると思います。

たしかに分析知の基本的構えは、ものごとを「分断」して「認知」するのがそのイロハであり、そのことにより、様々な進展を迎えたことは否定できません。

しかしそれだが全てでもあるまい。

綜合知を探究する人文系の人間としては……くどいようですが印象批判の誹りを免れることはできませんし、社会学系の人間からも「違うよ」ってぼやかれそうですが……そんなことを推察されてしまうんですよね。

まあ、ある日の独り言です。

02_tolstoy_and_his_grandchildrens 03

人生論 (新潮文庫) Book 人生論 (新潮文庫)

著者:トルストイ
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

人生論 (角川文庫) Book 人生論 (角川文庫)

著者:トルストイ
販売元:角川書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

|

« 第一の、そしてもっとも基本的な規準、それは、社会的諸事実を物のように考察することである | トップページ | 「その問いは、もはやたずねるべきことが何もない真夜中に、ひそやかな興奮に身をまかせて立てるひとつの問い」なのですが-- »

現代批評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/451663/35119279

この記事へのトラックバック一覧です: 人間にとって最初に考えられる生命の唯一の目的は、彼個人の幸福であるが、個人にとっての幸福なぞありえない:

« 第一の、そしてもっとも基本的な規準、それは、社会的諸事実を物のように考察することである | トップページ | 「その問いは、もはやたずねるべきことが何もない真夜中に、ひそやかな興奮に身をまかせて立てるひとつの問い」なのですが-- »