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日本も長くはない、長くはないに決まっているから嘘とは知りつつ、せいいっぱい「個独」を楽しんでやるぞと虚勢を張って日々を過ごしている。

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 「個独」など、いわゆる「団塊の世代」の無責任さの表現ではないか。彼らは(わたしも含めて)自分さえよければいい、あとにつづく世代などどうでもいいと思っている。だからこそ、バーだ不倫だ演劇だ放浪だと騒ぐのである。親の身勝手で放浪に連れ出される子どもの迷惑はどれほどのものかと思う。後続する世代などどうでもいいということは、結局、社会の連続性を信じず、世界の存続そのものをも疑っているのだ。日本に中産階級はむかしたしかにあった。少なくともあろうとした。しかしいまはない。家はあっても家族はなく、家族はあっても家庭はないからである。家庭のない中産階級など笑止で、現代の大都会はまさに小金のある流民で満ちている。
 というようなことを大声でいうととても無事で済みそうもないから、あたしは黙っている。黙って、また好きこのんで、いやいや独身生活をつづけながら、日本も長くはない、長くはないに決まっているから嘘とは知りつつ、せいいっぱい「個独」を楽しんでやるぞと虚勢を張って日々を過ごしている。
    --関川夏央「家はあれども帰るを得ず」、『家はあれども帰るを得ず』文春文庫、1998年。

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たしかにひとりでいるときが気楽で、あらゆる社会的属性を排除して、自己自身に即して気楽に生きている瞬間に愉楽を感じることは否定できませんが、それだけですませてしまうと、けっこう人生というやつはもったいないのかもしれません。

ひとりでいるときの愉楽とは、いわば孤独(「個独」)を楽しむ・味わうという快楽なのでしょうが、快楽というやつは、長続きはしないというのも事実です。

たしかに喉が渇けば水が美味しい。
しかしそれ以上に飲み続けるともはや苦痛になってしまう。

さてそれではどこにその準拠を置けばよいのか……。
過去の先哲も悩み続けたわけですが、まあ、宇治家参去もひとつ悩む毎日でございます。
水ではありませんが、酒は確かに美味しい。

そして喉が渇いていようがいまいが、美味しいし、基準量を超えて飲み続けても、美味しい。

摩訶不思議なる液体だとは思いつつも、基準量を超えてしまうと、翌日に「祟り」が出てしまう……そのことから学習するならば、物質的なものに依存したり、孤独における「関係性」の遮断にみられるような「楽しみ」「味わい」というものは一種、一過性のものすぎないのかもしれません。
※ただいちおー念を押しておきますが、だからこそ「精神的な充足」を第一義に押し出して、物質的な物を全て排除してしまうような原理主義的アプローチというものも現実の抽象化を招き、結果として理念と現実を満足させうることは不可能ですから、そうした道学者ストロングスタイルには違和感はありますし、生活を潤すために物質的なものを全て否定することには賛同できないことはいうまでもありません。

さて……。
嬉しいことに?、金曜日は父の日を前倒しで家族が祝ってくれました。
基本的に一般市民様の休日にあたる日にちが宇治家参去の仕事日になりますので、前倒しというやつです。

その日は、息子殿の英語教室がありましたので、夕食時間がかなりずれ込んだのですが、迎えにいった細君と息子殿が、ドアを開けて帰宅して、一斉に、

「おとうさん、いつもありがとう」

……といってくれたときは(そのときは、換気扇の下で煙草を吸っていたのですが)、

むずがゆい部分もありますが、すこし嬉しかったですね。

まあ祝うといいましても、近所のお寿司屋さんで、「松」をテイクアウトしてくれただけですが、母の日にはキチンと細君に、鉢植えをプレゼントしていたので功を奏したというところでしょうか。
※ただこの母の日にプレゼントを細君にするということに関しては、一人称としてのワタシからの細君に対する関係は、「母」ではありませんので、する必要がないと論理的整合性をただして説明責任を果たしたのですが、容喙されず、とりあえずなけなしの財布をふって、準備したのがイタイ思い出です。

さて……。
もどります。

まあ、いずれにしましても、ワタクシの個性を認知の方はすでにご存じかもしれませんが、存在根拠として、どちらかといえば「せいいっぱい『個独』を楽しんでやるぞと虚勢を張って日々を過ごしている」割合の方が多いのが宇治家参去の実情です。

ですから、父の日であろうが、母の日であろうが、こどもの日であろうが、ストロングに神学者(そしてそれと表裏一体をなすフリーの飲兵衛)として生きることに自分自身の存在を見いだしている訳なのですが、たまーに、そして忘れていた頃に、

無理矢理に、

「父親である」

とか

「世帯主である」

とか

「配偶者……「亭主」とか「旦那」という言葉にはイデオロギッシュな側面が濃厚ですので言葉としては宇治家参去は使用しません、が日常語ではほぼ同意……である

とか、、、

その辺をすっとばして、呑んでひっくり返ることが多いのですが、

ときどきそのへんを点検させてくれる家人の慈愛には感謝すべきなのでしょう。

ということで、先月我が家の仲間になったミシシッピアカミミガメも一人ではかわいそうだろうということで、(補食されないサイズの)メダカを数匹導入してみました。

なんだか水槽もにぎやかです。

まあ、生き方の「雰囲気」としては「無責任」を気取っておりますが、ほんものの「無責任」にはならないように警戒しながら、軽快に生きていこうかと思います。

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