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「世界文学の巨人ドストエフスキーの遺作にして最高傑作と目されている『カラマーゾフの兄弟』はコミック・ノベルなんであーる」……ってえところヨ

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 世界文学の巨人ドストエフスキーの遺作にして最高傑作と目されている『カラマーゾフの兄弟』はコミック・ノベルなんであーる。……と断言したその瞬間、トヨザキには『現代思想』を愛読するインテリゲンチャの皆さんが眉をつり上げる顔が思い浮かべられるのでございます。でも、ほんとなんだもん。笑っちゃったんだもん。
 粗筋は馬の耳に念仏、じゃなくて釈迦に説法でしょうからはしょりますが、まずは四兄弟(下男のスメルジャコフまで含めます)の父親フョードルの人物造型に注目。コミカルな小説や芝居、漫画では定番のデフォルメが施されておりますの。曰く、<この郡きっての分別のない非常識人のひとりとして一生をおし通した>男。で、この親爺は二度結婚し、三人の子どもをもうけた(スメルジャコフは非嫡出子)んですが、後年父親殺しの容疑で逮捕されることになる長男ミーチャを生んだ最初の妻はかなりの資産家にして名門貴族でもあった家の出身で、<持参金つきのうえに器量よし、おまけに利発な才女であるお嬢さんが><よりによってどうしてこんなろくでもない、当時まわりから「のらくら」とあだ名されていた男のもとに嫁ぐはめになったのか>と、創造主たる作者本人からも不思議がられているだけのことはあって、愛想をつかした嫁アデライーダは幼い息子ミーチャを置き去りにしたまま神学校出の教師と出奔。ところがフョードルときたら、落ち込んだりしないばかりか、渡りに船とばかりに自宅にハーレムを築いて大酒盛りを繰り広げるんです。
 で、ですね、このオヤジの容姿がすさまじいんですの。(中略)
 純正印のキモメンです。で、このダメな上にキモいオヤジが露悪的なまでの道化ぶりを発揮するのが、一巻一部第二編「場違いな会合」です。……
    --豊崎由美「ユーモリストとしてのドストエフスキー」、『現代思想 4月臨時増刊 ドストエフスキー』青土社、2010年4月。

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3月に買うだけかって、主要な対談だけ読んでそのまま放置していた雑誌『現代思想』(青土社)の臨時増刊号を、本日は大学へ向かう車中でひもといていたわけですが、、、

正直なところ、電車で読んでいて、ひとりフイタ宇治家参去です。

いや……、たしかに。

やられた。

自爆した。

いや……、しかし、たしかにそうです。

ニタニタしながら、活字を追っかけた次第です。

文人・豊崎由美(1961-)女史の書評はたまに読みながら、ニタニタすることが多々あったのですが久しぶりに今回は、ニタニタを超え、「フイタ」宇治家参去です。
※トヨザキ女史の論評には賛否両論がある「よう」なのですが、比較的に目にしながら、いゃア~すごいと思うのは、何かがあった場合、キチンと訂正することです。この辺を丁寧にすることはなかなかできません。

さて……戻ります。

言われてみると、たしかにそうなんです。

「世界文学の巨人ドストエフスキーの遺作にして最高傑作と目されている『カラマーゾフの兄弟』はコミック・ノベルなんであーる」。

いやー、その観点を失念していたわいナー、と襟をただしていただいたというやつです。

「『現代思想』を愛読するインテリゲンチャの皆さんが眉をつり上げる」という解釈が、すなわち「内面理解と葛藤」というような三流週刊誌の電車中吊り広告のようなコピーが、ドストエフスキー(Fyodor Mikhaylovich Dostoyevsky,1821-1881)理解におけるメインストリームなわけですけれども、まあ、それだけぢゃアないわけなんですよね。

「コミック・ノベル」っていう表現は、ひょとしたら戦略的挑発的文句であるのかもしれませんが、その戦略的・挑発的ってところにおさまりきらない余裕ってえヤツがドストエフスキーの作品にはあるわけよねぇ~ってずっーと思っていたのですが、トヨザキ女史のひとつの解釈を読みつつ、その、宇治家参去において言語化不可能であった「おさまりきならい余裕」のひとつの言語のパターンを見せて戴いたような気がしまして……。

ひとりフイタ。

ひとりニタニタ。

そして、「オレもまだまだでござんす」。

……ってええ、ところでしょうか。

「正しい解釈」という名の下の「公定教義」ってえやつは、まさに「皇帝競技」なんです。

そこからどれだけ逸脱していくか。

そして鼻から逸脱したあり方にどのようにセンスできるのか。

そこに人間の度量が問われるわけですが、まあ、自分も学生さんから・・・

「センセ、変人ですね」

とか、、、

「ひねくれ者、でも発想がすき」

……って、リアクションペーパーに書いてくれることが多く、

「おお、多彩な差違を尊重できているんだわいな」

……などとほくそ笑むことがあったのですが、、、

いやー、トヨザキ女史の書評を読んでまだまだ自分は青かった。

そんなところを実感させて戴きました。
※ちなみに本日の講義も無事終了し、額の汗をぬぐった次第ですが、28度オーヴァーの八王子@東京都は灼熱地獄でござんした。いやー体が溶けた!

これは、この増刊号でハナから読むべき一文でございます。

編集者もそのことを考慮したのでしょうか。

ほぼほぼ冒頭に据え置かれおります。

編集道……奥深し、、、とはこのことですね。

読みたいものから読んでいった自分が浅はかであると同時に、その傲慢さをうち砕いてくださいましてどうもありがとうござんすです。

……ということで、お約束。
こういう発想をすると、いちおー、細君に、

「こんなわけダゼ……」

とヵ

「これ、すげぇよなア」

……って話をするわけですが、卑俗な差別用語になっちゃって恐縮ですが、

細君は、それほど本を読む人でもありませんし、ややワタシの発想に嫌悪とまではいいませんが、要するにそれが金にならないことも承知している一般人ですから……

「いや……、トヨザキさんの書評には目をむかれたよ。おいらもたいがい、多様な解釈を励行する人間だと思っていたけど、まだまだ青かった」

……ってふったところ、、、

「ようするにアンタがフョードルだろう」

……ってつっこまれて返すことができず。。。

ひとりで、自室にもどりつつ、、、

「いやぁ~、オイラはイワンなんだよ……なあ」

って思った深夜です。

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現代思想2010年4月臨時増刊号 総特集=ドストエフスキー Book 現代思想2010年4月臨時増刊号 総特集=ドストエフスキー

著者:亀山 郁夫,望月 哲男,沼野 充義,ジークムント・フロイト
販売元:青土社
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