『良心ねえ! 良心ってなんですか? ぼくはそれを自分でこしらえてるんです。』
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「兄さんは、だれかがここに座っていたと本気で思っているんですね?」アリョーシャはたずねた。」
「ほら、そこのソファーだよ、隅の。おまえが追っ払ってくれればよかったんだ。いや、おまえがやつを追っ払ってくれたんだな。だって、おまえが現れたとたん、姿を消したもんな。おまえの顔が好きだよ、アリョーシャ。お前の顔が好きだってこと、知っていたか? で、やつはな、アリョーシャ、おれなのさ、おれ自身なんだ。おれがもっているぜんぶの下劣な部分、いやらしい部分、軽蔑すべき部分なんだよ! たしかにそう、おれは『ロマンチスト』だ、やつがそう指摘した……ただし、それも中傷だったがな。やつはおそろしく頓馬なんだが、それがあいつの強みでな。ずるがしこい、動物的にずるがしこい、おれを起こらせる方法を知ってやがった。おれがやつの実在を信じているってからかいつづけてな、それで自分の話を聞かせてしまうんだよ。おれのことをガキみたいにだましやがって。もっとも、おれにかんしては、いろいろとほんとうのことも教えてくれたがね。自分ではとても言えないようなことをさ。いいか、アリョーシャ、いいか」おそろしく真剣な、何か秘密でも打ちあけるような調子で、イワンが言い添えた。「おれは心から願っているんだ、やつがほんとうにやつで、おれじゃなければいいってな!」
「兄さんを苦しめたんですね」同情の目で兄を見つめながら、アリョーシャは言った。
「おれをからかったのさ! それも、ひじょうに巧妙にな。『良心ねえ! 良心ってなんですか? ぼくはそれを自分でこしらえてるんです。じゃあ、どうしてぼくが苦しんでいるんですか? たんなる習慣からですよ。七千年の、全人類的習慣からですよ。だから、そんなもの忘れて、神々になりましょうよ』--これは、やつが言ったことさ、ほんとうに言ったことなんだ!」
--ドストエフスキー(亀山郁夫訳)『カラマーゾフの兄弟 4』光文社古典新訳文庫、2007年。
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どうも、宇治家参去です。
ドストエフスキー(Fyodor Mikhaylovich Dostoyevsky,1821-1881)の作品について議論できる学友からは、
「おまえは、イワンだ」といつもいわれてしまう宇治家参去です。
『カラマーゾフの兄弟』での二男イワンが発狂する直前のシーンを再読しつつ、たしかに……
「オレはイワンだな」
……などと一人独白する宇治家参去です。
さて……。
5月末にiPadが発売されましたが、細君から決して、
「買わないように」
……という厳しいお言葉を頂き、くれぐれもゲットしないようにと念を押されておりました。
しかしながら、なんだかものの拍子に5月末に店頭でポチッと予約をいれてしまい、サクッと入手しておりました。
まあ、ばれるとウザイので、テキトーにほとぼりが冷めるまで……すなわち発売されてから2-3ヶ月後……、だまって使おうということで、だまって使っておりました。
自分の部屋は学問の資料で錯乱……もとい、散乱しておりますので、ソフトケースにれて、本棚にそれとなく立てており、細君のいないところ⇒すなわち、宅外で、ちまちまと利用し、細君が寝静まった深夜にアプリをダウンロードしたりしていたわけですが……。
「細君に黙っている」
……という良心に咎められる?という次第です。
その煩悶に苦しむあまり発狂するか!というぎりぎりまで追いつめられてしまうものですから、
あっさりと・・・
「革命的で魔法のようなデバイス。しかも信じられない価格で」
・・・ってあっさり紹介すると、
「おもしれー」
・・・ってイヂクリ回す次第です。
ただ、一番喜んでいるのは息子殿のようでございます。
早速、Youtubeで「ウルトラファイト」を観賞しているようですが・・・、占有されてしまうのが一つの難であり、もう一つの難が、mac系のOSでこの時期から入られまして……って頭を抱える次第です。
macユーザーの皆様には申し訳ないのですが、宇治家参去、dos時代からのユーザーですので、できればストロングにwindowsないしはlinuxで攻めて欲しいと願うものですから。
むかーし、仕事の必要上でmacを使っていたこともあるのはあるのです。今はなき、PowerBook時代ですが、あまりいい思い出がなく……作業の途中で、トイレに用をたしにいって帰ってきて作業を再開しようとPCを見るとフリーズしていたりして、ついでに保存もしてないくて(涙)、、、のような……コスト的にどうよ、ファイルのやりとりのシェア的にどうよ……っていうのがあり、ガシガシに(これまた今はなき)IBMにこだわってきた部分もありますので・・・。
一つの良心の苦悩はあっさり自白したことで終焉しましたが、あたらしい問題?で、まさに頭を抱える次第です。
「『良心ねえ! 良心ってなんですか? ぼくはそれを自分でこしらえてるんです。じゃあ、どうしてぼくが苦しんでいるんですか? たんなる習慣からですよ。七千年の、全人類的習慣からですよ。だから、そんなもの忘れて、神々になりましょうよ』--これは、やつが言ったことさ、ほんとうに言ったことなんだ!」
狂って「そんなもの忘れて」「神々」になるわけにもいきませんしねえ。
ちなみにドストエフスキーがここで「神」ではなく「神々」と使い分けているところが乙です。この課題の探求は後日にしましょう、さて本論に戻ります。
ま、これ以上頭を抱えてもしかたありません。
なるようになるのでしょう。
ただ、iPadを使いながら、現在は母艦にwindowsデスクトップで対応しておりますが、いっそのことmacでつないでみるのもチトオモシロイかとそぞろ心の揺らめくところです。
ただしかし、細君+息子殿による占有率が高くいまだに設定といいますか自分用にカスタマイズする、調整する設定するということがなかなかできません。
これが一番の問題です。
「革命的で魔法のようなデバイス」……とのこと。
たしかに「頭を抱えること」が多くなりましたので、その意味では「革命的で魔法のようなデバイス」であることだけは否定できないようですね。
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