人生は基本的に不公平なものである。それは間違いのないところだ。しかしたとえ不公平な場所にあっても、そこにある種の「公正さ」を希求することは可能であると思う。
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……生まれつき才能に恵まれた小説家は、なにもしなくても(あるいは何をしても)自由自在に小説を書くことができる。泉から水がこんこんと湧き出すように、文章が自由に湧き出し、作品ができあがっていく。努力をする必要なんてない。そういう人がたまにいる。しかし残念ながら僕はそういうタイプではない。自慢するわけではないが、まわりをどれだけ見わたしても、泉なんて見あたらない。鑿(のみ)を手にこつこつと岩盤を割り、穴を深くうがっていかないと、創作の水源にたどり着くことができない。小説を書くためには、体力を酷使し、時間を手間をかけなけくてはならない。作品を書こうとするたびに、いちいち新たに深い穴をあけていかなくてはならない。しかしそのような生活を長い歳月にわたって続けているうちに、新たな水脈を掘り当て、固い岩盤に穴をあけていくことが、技術的にも体力的にもけっこう効率よくできるようになっていく。だからひとつの水源が乏しくなってきたと感じたら、思い切ってすぐに次に移ることができる。自然の水源にだけ頼ってきた人は、急にそれをやろうと思っても、そうすんなりとはできないかもしれない。
人生は基本的に不公平なものである。それは間違いのないところだ。しかしたとえ不公平な場所にあっても、そこにある種の「公正さ」を希求することは可能であると思う。それには時間と手間がかかるかもしれない。あるいは、時間と手間をかけただけ無駄だったね、ということになるかもしれない。そのような「公正さ」に、あえて希求するだけの価値があるかどうかを決めるのは、もちろん個人の裁量である。
--村上春樹「人はどのようにして……」、『走ることについて語るときに 僕の語ること』文春文庫、2010年。
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どうも宇治家参去です。
二日間の熱い!(=暑い)梅雨のスクーリングの二日間が無事に終了しました。
今回は8名の学生さんが参加。
大勢の学生さんとやるのとはまたちがう懇親的な雰囲気で授業を展開し、お互いに学ぶところのあった二日間だったかと思います。
参加されたみなさま、ほんとうにありがとうございました。
小説家ではありませんが、ワタクシ自身も、「生まれつき才能に恵まれた」学者でもありませんし、才能だけでなく、「チャンス」にも恵まれた学者でもありません。
ですから、「泉から水がこんこんと湧き出すように」叡智を絞り出すこともできませんし、残念ながら僕はどうやらそういうタイプの人間ではありませんから、「鑿(のみ)を手にこつこつと岩盤を割り、穴を深くうがっていかないと」、思索の「水源にたどり着くこと」ができません。
自分自身が努力精励のひとだとは思いません・
が、まあ鑿を手にこつこつと岩盤を割り、穴を深くうがって、なんとか学問という世界の「蒼蠅驥尾に付して」というのが実情ですが、それでも毎度毎度のスクーリングや学問の仕事をするなかで、学生さんのひとりひとりが、
「倫理学を履修してよかった」
と皆がおっしゃってくださることに耳を傾けるなら、、、
まあ、だれも相手にはしてくれませんけれども、
「鑿(のみ)を手にこつこつと岩盤を割り、穴を深くうがって」いく毎日の営みは、まあ決して無駄ではなかったのだろうと思います。
いや、ほんとうに、「履修してよかった」ではなく、「履修していただいてよかった」です。
参加された学生のみなさま、本当にありがとうございました。
感謝のコトバを紡ぎ出すのはわたしのほうですよね。
さて……。
最後の試験終了後、学生さんと高松駅にていっぺえやってきました。
「夢の教室」(授業の教室)ではなく、現実の教室での講義とはいいものですネ。
お互いが教師であり、生徒であるひとときを実感いたします。
今日は高松空港近くのホテルで一泊です。
明朝東京に戻ります。
明日からまた「鑿(のみ)を手にこつこつと岩盤を割り、穴を深くうがって」いく毎日です。
まあ、自分らしくやっていこうかと思います。
走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫) 著者:村上 春樹 |
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