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自分が文明人か野蛮人かどちらであるかを決める場合、普通の生活における一寸(ちょっと)した振舞いとか、通行規則を守るか否かに基づいて判断する。日常生活ではヒロイズムや自己犠牲を発揮する瞬間は稀である。

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 自分が文明人か野蛮人かどちらであるかを決める場合、普通の生活における一寸(ちょっと)した振舞いとか、通行規則を守るか否かに基づいて判断する。日常生活ではヒロイズムや自己犠牲を発揮する瞬間は稀である。人生の総和を構成し、人生の旅を甘美なものにしたり、苦しいものにしたりするのは、普通の交際上の一寸した習慣である。汽車の中のお喋りな男がこれに気付いてくれるといいのだが。もし気付きさえすれば、フランス軍がどうのだの、ドイツ軍がどこに行ったかなどを、近くの人に説明するのは止めないにしても、私が『青書』を読むのを可能ならしめるような低い声で説明するだろう。
    --ガードナー「通行規則について」、(行方昭夫編訳)『たいした問題じゃないが イギリス・コラム傑作選』岩波文庫、2009年。

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とりたててどうのこうのという話題ではありませんし、意識して、まあ、心がけてやっているものではありませんが、わりあいに、信号をきちんと守る宇治家参去です。

まあ、性根が、せっかちとの対極にあるのんびりずむ、敏腕ビジネスパーソンとの対極にある晴耕雨読の世捨て人?ですからそうなのかもしれませんが、まあ、信号を急いでわたるよりもゆっくりまって「チト休憩」そういう人格ですから、わりあいに信号をきちんと守ってしまう……という寸法です。

さて……。
市井の職場……業種としてはGMSになりますが……は小売りの店舗になりますが、店舗とその駐車場が直結しておらず、道を挟んで相対している、そういう間取りになります。ですから、駐車場へカートやカゴを回収しに行くためには、信号をわたらなければならないのですが、そこで信号待ちをしていると結構おもしろい人間模様を拝見することがときどきあります。

結論から言えば守るひとは守りますし、守らないひとは守らないんです。
そこに道学者の立場から弾嘩しようとは思いませんし、そんなことをつらつらと書き殴ることほど野暮なことはありませんから、ここはまあひとつ、そーゆうひともいると認知してください。ま、このことは自分自身のふだんの生活を振り返るとたまに見たり、よく見たりする、些細な日常の一コマというやつです。

冒頭で引用した編訳者が「コラム傑作選」のタイトルを『たいした問題じゃないが』としているとおりの「たいした問題じゃない」というわけです。

ですけど、表題のとおり「たいした問題じゃない」「が」の「が」なんですネ。

で……。
仕事に行っているときは何度もその横断歩道を往復するわけですけども、実際には、「守るひと」と「守らないひと」の比率っていうのは、厳然とした「決意」として「守る」「守らない」って見た場合、結構マイノリティになってしまうんです。

実際に一番多いのが、「どうしようか」=信号を守ろうか、それとも守らないでいっちゃおうか……そこで悩んでいて、どちらかにフラグを切ってしまうひとが多いんです。

そんで・・・
その光景を観察しておりますと、一番多いのが、やはり他の人の目をきにして判断しているというところでしょうか。

その意味では逆説的ですが、前述したとおり、「決意」して信号を「守らない」ひとも「決意」して信号を「守る」ひとっていうのもじつのところマイノリティというわけです。

そしてそのどちらの世界にも属せず、両方に足をつっこんで生きているひとがじつのところ大多数となってしまう……、そんなことをフト思った次第です。

ま、ここでは「守る」ことが何にあたり、そして「守らない」ことが何にあたるのかパラレルさせることは論旨ではありませんので、そこには容喙しません、「自分が文明人か野蛮人かどちらであるか」って「表現」に引っ張れてしまうと、まさに構造人類学者レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss,1908-2009)がサルトル(Jean-Paul Charles Aymard Sartre,1905-1980)と喧嘩した『野生の思考』(La Pensée sauvage,1962)になってしまいますので、ライトに考えようかと思いますが、「守る」/「守らない」、そして「文明」/「野蛮」の二項対立を超える人生の視座として、ひとつ指摘できるのは、それでもなお、「普通の生活における一寸(ちょっと)した振舞い」にそのひと自身の「ひととなり」がでてくることだけはたしかですね。

躊躇することが多いのですが、どちらに舵を切るのか。

まさに「たいした問題じゃない」んですけど、そこから横溢するそのひとのひととなりってえやつは醸し出されてくるような気がします。

ま、いうまでもありませんが、これは、そのひとが持つ思想という属性とそのひととなりとを結びつける次元とはまったくことなる、「日常の一コマ」というやつではありますけどね。

……ということで、数時間後に授業です。

ま、これも「たいした問題じゃない」……訳はないんですけど、気になっていた「枝豆豆腐」とやらをゲットしましたので、今日は、ハートランドビール@kirinでも呑みつつ……すでにバランタインハイボールへ移行していますが……沈没しようかと思います。

でわ!

Au Revoir !

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