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「民主主義を『議論による政治』として定義することは、意思決定のプロセスで個人の価値観が変わる可能性があり、実際に変わることを意味する」

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 確かに、選挙はとても重要な手段ですが、市民社会における議論に効力を持たせる方法の一つにすぎません。しかも、投票する機会とともに、脅かされることもなく発言し他の意見をきくことができる機会があれば、のことなのです。選挙のもつ効力も、その影響がおよぶ範囲も、公の場の開かれた議論の機会があるかどうかで決定的に変わります。選挙制度だけでは何としても充分ではありません。それは、スターリンのソ連からサダム・フセインのイラクにいたるまで、権威主義体制下の選挙で、独裁政権が驚くべき勝ち方をしてきたことで充分に証明されています。こうしたケースの問題点は、実際の投票行動で有権者が圧力をかけられることだけでなく、検閲制度、反体制派の弾圧、市民の基本的な権利および政治的自由の侵害などを通じて、公の場における議論ができなくなることにもあるのです。
 投票の自由をはるかに超えた、もっと広い見地から民主主義を見る必要性は、現代の政治哲学だけでなく、社会選択理論や公共選択理論などの新しい分野でもさかんに議論されています。こうした問題は政治思想と同じくらい、経済学の理論からも影響を受けます。議論を通じて意思決定をするプロセスによって、社会や個人の優先事項に関する情報は増えるでしょう。そうなれば、意思決定は社会的討議によって変化するかもしれません。公共選択理論の主唱者であるジェームズ・ブキャナン〔アメリカの経済学者〕が述べたように、「民主主義を『議論による政治』として定義することは、意思決定のプロセスで個人の価値観が変わる可能性があり、実際に変わることを意味する」のです。
    --アマルティア・セン(東郷えりか訳)『人間の安全保障』集英社新書、2006年。

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時流?に反するような引用で恐縮ですが、まあ、この問題は看過できない翠点を表しておりますので、この時期にこそ、引用されてしかるべきかと思い、アジア人としてはじめてノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・セン(Amartya Sen)先生の言葉に耳を傾ける宇治家参去です。

この議論には、民主主義のシステムを至上視するブッシュイズム的民主主義の強制輸出に対する違和感が背景に存在しますが、まあ、チャーチル(Sir Winston Leonard Spencer-Churchill,1874-1965)がいう通り民主主義とはまさに「実際のところ、民主制は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた、他のあらゆる政治形態を除けば、だが」というところなのでしょう。

システムを輸出してもはじまりません。

システムをどのように立ち上げるかが焦眉の課題なわけですが、その辺が議論としてすっぽりとして抜け落ちてしまうというのが人間世界の常なのでしょうか。

制度としての民主主義を支える根幹のひとつとして列挙できるのが「選挙」というシステムですが、セン氏の指摘を待つまでもなく、「スターリンのソ連からサダム・フセインのイラクにいたるまで」制度としての〝選挙〟は整備されておりますし、その投票結果によって「独裁政権」が維持されてきたのが歴史であります。

そのへんを丁寧にたぐっていきますと、結局の所、この段の後述でトクヴィル(Alexis-Charles-Henri Clérel de Tocqueville,1805-1859)の議論も出てきて、それを補完させるわけですけれども、おそらく、まあ、「これまでに試みれてきた、他のあらゆる政治形態を除けば」〝マシ〟とされる民主主義という制度というわけですが、大切なのは、それを支える意志決定のプロセスの保証ということにつきるのでしょう。

意志決定のプロセスは、私情に左右される本朝においてもタテマエとしては確かに保証されております。

しかし、その内実を尋ねてみますと、

「はぁ」

……というところが実情でしょう。

ただしかし、

「はぁ」

ってやってしまいますと、はじまりませんので、どのような意見、主張であれ、形式は整備されている環境ですから、そのすりあわせの中から、次の時代を立ち上げていく……そのことを丁寧にやっていくほかりません。
※その意味では、イライラする御仁は、公開討論を避け、「一対○○は卑怯だ」などと民主主義のシステムを放擲するような名言を残しておりますが、まあ、なにをかいわんや……というところでしょうか。

消費税がどうの、法人税がどうの、何を主張しても、まあ、いいわけですよ。いうまでもありませんが最低限の矜持としましては。ですけどそれがきちんとしたデータにも裏打ちされておりませんから「逃げざるを得ない」というお粗末な状況になってしまうわけナンですが、議論を避けて「なんとなくクリスタル」式にスルーしてしまうっていうのが一番、制度としての民主主義を損なう結果になってしまうという極めてわかりやすい図式なのですが、どうしてそんなことが理解できないのか、そのへんが理解できない宇治家参去というやつです。

呑んでいるのですいません。

ようするに、まあ、、。

疲れた。

結局のところ、メディアは、「政治に愛想をつかした愚民が民主主義を崩壊させる」というありきたりの議論で安全地帯を保持しますが、結局のところ「政治に愛想をつかせてしまう」のは制度と内実を理解していない政治家そのもの起因する問題であるし、そのことのを嘲笑的に三行広告として報道するメディアに問題があるわけですが、まあ、いろんなひとと話しあうなかで、ひとつ実感するのは、

「民衆達よ、おまえらはバカだよな」ア~

……って利用しせせらわらう政治家たちよりも、そしてそれを補完するメディアよりも、

なかなかどっこい、

「(民衆、市民、ひとびと、……其の対象とされる代名詞はなんでもいいですが)現実と格闘しながら生きてる人間というものは、そうした人々が思っている以上に聡明である」」

そのことです。

話がかなりすっとびましたが、いつものとおりですいません。

話がすっ飛ぶとおりひとつおどろいたのは、日曜は埼玉の狭山市を徘徊?していたのですが、驚いたことに、駐車場のよくあるフェンスにかぶと虫(雄)がいたところ。

野生児です。

さっそく息子殿がゲットしました。

いやー、埼玉県おそるべし。

……ってもどります。

いずれにしましても、形式を形式たらしめるのは、その形式に支配されているひとびとなんだって原初をわすれてしまいますと、不毛な結果しか残しません。

つうことで、ぼちぼち沈没なうです。

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