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そのとき、思想家で政治家でもあった荻生徂徠は、この世論に抗して、四十七士を切腹に処すべきだ、と言った

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 日本のひとつの文化的特徴として、法律を超えていくのが義理と人情であり、その人情を引き受けるのが政治であり、究極においてその国民をまとめる政治をできるのは天皇しかない、という考え方がある。それゆえ二・二六事件は明らかに法律違反であったが、農村の疲弊を救おうとし、子供たちの餓死や妹が女郎に売られていくことのない政治を実現しようとして、青年将校が蹶起した。その青年将校が厳罰に処されるのはかわいそうだという人情=世論が生まれるのである。
 日本人がいちばん好きな『忠臣蔵』でも、徳川の法を超えた復讐劇に庶民は万歳を唱え、四十七士は幕府が判決を下すまで尾頭つきで優遇された。そのとき、思想家で政治家でもあった荻生徂徠は、この世論に抗して、四十七士を切腹に処すべきだ、と言った。法律を定め施行している徳川幕府の政治を超えるべきではない、と考えたのである。
    --松本健一『日本のナショナリズム』ちくま新書、2010年。

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昨日無事に期日前をすませ、今日はあさから埼玉を少しあるいておりました。

さて、今回だけでない意味での雑感をひとつ。

たしかに、義理人情も大切です。

しかし、それを超えていく冷静な議論のなかで、なにかを形作っていく、なにかを立ち上げていく文化の重要性を痛感したことだけは否定できません。

義理人情も大切ですが、それだけで済ませてしまうと尻すぼみになってしまうし、その逆もしかりです。

ただ本朝では前者へひどく傾いて判断する精神的態度が非常に強いことを痛感した次第です。

義理人情で何かを判断することを否定はしませんが、そもそも、どうすべきかということを法定内でぎりぎりまで冷静に考えたうえでの判断という文化というのも必要であり、その冷静ななまなこでの判断するということが、ほんとうに定着していないという事実に何度か驚愕いたしました。

「日本人は十二歳の少年」というダグラス・マッカーサー元帥(Douglas MacArthur,1880-1964)の言葉をひきたくはないですけどね。

そして付け加えると、義理人情による判断であれ、そして冷静なそれであれ、なんらかの決断を下したあとのことも問題なんです。

決断後に、その決断が正しかった場合はそれにこしたことがないのですが、そうでない場合、そのことを認めて、さあ次はどうするべって段の問題です。

結局は、以前に選択した判断が誤りであった場合、往々にしてそのことを認めることのできない心根が強く……。

ここにも「はぁ」と脱力。

だから最終的には、丸山眞男センセ(1914-1996)ではありませんが、無責任の無限連鎖を自己言及的に続けてゆき、最終的に天皇へと帰着していくという寸法になるのでしょう。

宇治家参去は天皇主義者ではありませんし、その逆の職業革命家でもありませんから、そもそも、そうした無限連鎖の極地に天皇陛下を宛てること自体も失礼だろうと思うわけですし、何しろ大切なのは、自己の選択に対して「自分で引き受ける」って矜持が必要なんじゃないのかなア~などと思うわけですが。。。

ま、いずれにしても嘆いてもはじまりません。
そして、批判してもはじまりません。

嘆く、批判する、相手をバカだと思う。

これは簡単なことです。

しかしそこからは何も始まらない。

であるならば、どうするか。

私淑するポストコロニアル批評の旗手・スピヴァク女史(Gayatri Chakravorty Spivak,1942-)は、有機的知識人とは何かを論じる中で「つねにひとびとと関わりつねに説得をめざすひと」と指摘しておりますが、このへんを大切にしたいと思います。

ということで、昨日は、期日前が済んでからツレといっぺえいってきました。

宇治家参去御用達の「ささ花」@花小金井へ久しぶりへいきましたが、夕方に食べたミスタードーナッツがのこってい、あまり食することはできませんでしたが、飲みをメインに楽しんだ次第です。

「だだ茶豆」と「文月のレディーファースト(前菜五種盛り)」で始め次第ですが、、

前者は、定番の枝豆というわけですが、素朴な料理だけに素材はいいものつかっておりますね。久しぶりに枝前で感動。

後者は、「レディーファースト」という触れ込みですが、男性客も注文OKで試したわけですが、

茄子の生ハム巻き もろこし豆腐 じゅんさいと長芋 青唐とじゃこの有馬煮 鰺とトマトの手鞠寿司……

相変わらずいいものをだしてきます。

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生ビールを早々に切り上げて、黒龍の純米吟醸を数杯頂き、それから「メニューにないやつは?」って聞きますと、

「飛露喜でいいのはいってます」

……ってことで、「純米吟醸 飛露喜 愛山 本生」のご登場。

カンパチの焼霜造りにも、加茂茄子の中華風肉味噌がけにもまけない、辛口ながらも豊穣な味わいに完敗という次第です。

昨日は若者?と行ったのですが、若者たちと盃をかわすのもなかなか刺激的でよいものです。共に成長を期したわけですが、まあ、酒を飲むというのは、酒を飲み、食べることも大切ですが、やはり相対する人間がいるからこそいっそう旨いというものです。

〆は九州名物シロクマです。

さて、ささ花@花小金井、相変わらずいい仕事をしておりました。

ささ花の如く、それぞれの分野で小水石を穿つごとくいい仕事をしてきたいものです。

つうことで、仕事へ行きます。

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