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「真に不健康なものを扱うためには、人はできるだけ健康でなくてはならない。それが僕のテーゼである」。

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  「村上さんみたいに毎日、健康的な生活を送っていたら、そのうちに小説が書けなくなるんじゃありませんか?」みたいなことをときどき人に言われる。外国にいるときにはあまり言われないけど、日本ではそういう意見を持つ人がけっこうたくさんいるようだ。小説を書くという行為は、即ち不健康な行為であり、作家たるものは公序良俗から遠く離れたところで、できるだけ健全ならざるせいかつをくらなくてはならない。そうすることによって、作家は俗世と訣別し、芸術的価値を持つ純粋な何かにぴょり接近することができるのだ--といった通念のようなものが世間には根強く存在する。長い歳月をかけて、そういう芸術家=不健康(退廃的)という図式が作り上げられてきたらしい。映画やテレビ・ドラマには、よくこういうステレオタイプの--よく言えば神話的な--作家がよく登場する。
  小説を書くのが不健康な作業であるという主張には、基本的に賛成したい。我々が小説を書こうとするとき、つまり文章を用いて物語を立ち上げようとするときには、人間存在の根本にある毒素のようなものが、否応なく抽出されて表に出てくる。作家は多かれ少なかれその毒素と正面から向かい合い、危険を承知の上で手際よく処理していかなくてはならない。そのような毒素の介在なしには、真の意味での創造行為をおこなうことはできないからだ(妙なたとえで申しわけないが、河豚は毒のあるあたりがいちばん美味い、というのにちょっと似ているかもしれない)。それはどのように考えても「健康的」な作業とは言えないだろう。
  要するに芸術行為とは、そもそもの成り立ちからして、不健全な、反社会的要素を内包したものなのだ。僕もそれを進んで認める。だからこそ作家(芸術家)の中には、実生活そのもののレベルから退廃的になり、あるいは反社会的な衣裳をまとう人々が少なくない。それも理解できる。というか、そのような姿勢を決して否定するものではない。
 しかし僕は思うのだが、息長く職業的に小説を書き続けていこうと望むなら、我々はそのような危険な(ある場合には命取りにもなる)体内の毒素に対抗できる、自前の免疫システムを作り上げなくてはならない。そうすることによって、我々はより強い毒素を正しく効率よく処理できるようになる。言い換えれば、よりパワフルな物語を立ち上げられるようになる。そしてこの自己免疫システムを作り上げ、長期に渡って維持していくには、生半可ではないエネルギーが必要になる。どこかにそのエネルギーを求めなくてはならない。そして我々自身の基礎体力のほかに、そのエネルギーを求めるべき場所が存在するだろうか?
 誤解されると困るのだが、そういうやり方が作家にとって唯一の正しい道だと主張しているわけではない。文学にはいろんな種類の文学があるように、作家にもいろんな種類の作家がいる。(中略)しかし僕自身について言わせていただければ、、「基礎体力」の強化は、より大柄な創造に向かうためには欠くことのできないものごとのひとつだと考えているし、それはやるだけの価値のあることだ(少なくともやらないよりはやった方がづっといい)と信じている。そして、ずいぶん平凡な見解ではあるけれど、よく言われるように、やるだけの価値のあることには、熱心にやるだけの(ある場合にはやりすぎるだけの)価値がある。
 真に不健康なものを扱うためには、人はできるだけ健康でなくてはならない。それが僕のテーゼである。つまり不健全な魂もまた、健全な肉体を必要としているわけだ。逆説的に聞こえるかもしれない。しかしそれは、職業的小説家になってからこのかた、僕が身をもってひしひしと感じづけてきたことだ。健康なるものと不健康なるものは決して対極に位置しているわけではない。対立しているわけでもない。それらはお互いを補完し、ある場合にはお互いを自然に含みあうことができるものなのだ。往々にして健康を指向するする人々は健康のことだけを考え、不健康を指向する人は不健康のことだけを考える。しかしそのような偏りは、人生を真に実りあるものにはしない。
    --村上春樹「もしそのころの僕が、長いポニーテールを持っていたとしても」、『走ることについて語るときに 僕の語ること』文春文庫、2010年。

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酒に弱くなったなアと思う昨今です。
昨日は大学時代の先輩で美食家として知られるM氏(通称・鮨サムライ)と案内で吉祥寺でいっぺえならぬさんぺえやってきたのですが、記憶のかけらが酒の雫とともに置き忘れてきたようで・・・少し凹む昼下がり。

10年ぶりに再会したのは、まさにtwitterのおかげです。
下らぬ話で4時間近く呑んでいたのですが、いつも変わらぬ姿であの当時にままに向き合ってくれる大学時代に友人・先輩・後輩というのは本当にありがたいものです。

ただ酒には弱くなったアと思う昨今です。

村上春樹(1949-)さんは、走る作家として有名ですが、なぜ走る必要が個人的にあるのか探究するなかでひとつの言葉としてまとめたのが、上の文章ですが、作家に限らず、言葉という存在と格闘する人間というものは、まさに「真に不健康なものを扱うためには、人はできるだけ健康でなくてはならない」のでしょう。

自分も少し鍛えなおして、また酒とマラソンをしたいものだ……そう思う月末です。

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さて……一軒目。
■ 吉祥寺南町『ぶ飲み酒場オーツキバル』右気軽にうまいワインが楽しめる店。
〒180-0003 東京都武蔵野市吉祥寺南町2-13-4 B1F
営業時間  17:00~翌3:00 ※水曜定休

「看板」にあるとおり「ワインをがぶがぶ飲みませんか」ということで、軽くプレミアムモルツの生を煽ってから、白を1本。赤を1本。

10名入れば一杯になるかと思われる小さなおみせですが、清掃の行き届いたすがすがしいお店、しかも出すものは本物。

メモってくればよかったのですが、写真の通り。
素材が活かされた珍味に舌鼓。

ワインを2本呑んでから、次のお店へ。

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■ たるたるホルモン
〒180-0004 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-33-9
営業時間  17:00~翌3:00 ※ほぼ無休

ひさしぶりに30度を超えなかった東京ですが、しかし蒸し暑い一日。
まずはとろとろハイボール。
こちらも隠れ家的なホルモン道場。タルイさんがやっているから「たるたる」というのにはフイタのですが、いやーいい仕事をしております。

新鮮なお肉をジュッと炙って暑気払い。
奄美の黒糖焼酎「加那」(西平酒造、鹿児島県)で締めてから次のお店へ。

※ここのみiPhone撮影でして画像がわるくすいません。

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■ BAR Surpass
〒180-0004 武蔵野市吉祥寺本町1-30-16 加藤ビルB1
営業時間  月曜~金曜 19:00-翌5:00
      土曜・日曜・祝日 15:00-翌5:00 不定休

すでにこのへんで記憶がないのですが、M先輩の響(12年)と白州(10年)をやったようです。

……という呑みツアー。

Mさんありがとうございました。
コレに懲りずに又よろしくお願いします。

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