「それが私になんのかかわりがあるのか」とやらないこと
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更にまた第四の人は、自分が仕合せなところから、ほかの人達が多大な困難と戦わねばならぬ様子を見ても(彼はこの人達を助けることができるのに、)こう考えるだけである、--「それが私になんのかかわりがあるのか。何びとにせよ、或いは天意のままに、或いは自力によっていかに幸福であろうとも、私は彼から一物をも取りあげはしない、それどころか羨みもしないだろう。ただ私としては、彼を安泰にするために、或いはまた彼が困窮した際の援助のために、力を致す気持ちはない!」。このような考え方が普遍的法則になったところで、人類はかくべつなんの差し障りもなく生活していくことができるだろう。それどころか誰も彼も口を開けばやれ同情の、やれ好意のと喋々し、またこのような結構なことを口にするだけでなく、時には精出して実行してみたところで、--或いはまたそれとはあべこべに、機会さえあれば人を欺き、人間の権利を売り渡し、或いはそうしないまでもこの権利を侵害したところで、人類はもっと立派に存続していけるだろう。だがたとえ彼がかかる格律に従ったところで、普遍的自然法則はなんら支障なく存立し得るであろうということは、確かに可能であるにせよ、しかしこのような原理が自然法則として一般に妥当することを欲することは、とうてい不可能である、なぜなら彼にも、他人の愛や同情を必要とする場合が、--また彼の意志にもとづいて成立したこのような自然法則によって、彼の希望している援助がすべて当て外れになるような場合が、しばしば生じるからである。
カント(篠田英雄訳)『道徳形而上学原論』岩波文庫、1976年。
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ようやく「哲学」の最終講義を金曜日に終えました。
受講された皆さん、お疲れさまでした。
今回は、最終的にはシラバス通り進行することができませんでしたが、逆に細かいところには手を入れることができたのはひとつの収穫です。
最後のリアクションペーパーを読んでおりますと、だいたい2-3件は「結局、哲学とは何かよく分からなかった」というのがあるのですが、今回は皆無でした。
こんなのは初めてです。
いずれにしましてもありがとうございました。
いずれにしても学問をやるうえで大切なのは、何事に関しても「そんなことは関係ねえ」と分断してしまわないことかと思います。
「そんなことは関係ねえ」ってやっていきますと、最終的には自分自身の事柄に関しても「そんなことは関係ねえ」ってなってしまうのだと思います。
だからこそ世界や人間に対して「そんなことは関係ねえ」って放擲してしまわない態度が大切なのだと思います。
いずれにしてもありがとうございました。
さて……。
18時過ぎに講義を終えてから、ひさしぶりに「月の雫」で小休止。
来月、何度かお世話になりそうなので下見というところです。
asahiの熟撰と香味茄子味噌田楽で暑気払い。
つくね、エイヒレの炙り焼きでカント(Immanuel Kant,1724-1804)を精読という訳ですが、独り酒に長っ尻は無用ということで、サクッと帰宅した次第です。
酒は生もと純米大七でやりましたが、いい仕事をしております。
帰宅後、飲み足りなかったので安物シャルドネを1本明けましたが、お陰で今日はげふげふです。
ま、いずれにしましても、カントのいう通り「人類普遍の法則」に従うように、修正しながら今日もがんばっていこうかと思います。
道徳形而上学原論 (岩波文庫) 著者:カント |
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