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旨いもの・酒巡礼記:香川県・高松市編「とり料理 かど弦(かどげん)」

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 子供のころ、祖父がよく浅草の〔中清〕の天麩羅を食べに連れて行ってくれたが、さしてうまいとはおもわなかった。
 〔金田〕の鳥なべも同様で、どうせ浅草で御馳走をしてくれるのなら、レストラン〔中西〕のカツライスか、チキンライスのほうがいいとおもった。
 私の母方の祖父は飾り職人だったが、趣味のひろい人で、暇さえあれば芝居見物や、または上野の美術館へ絵を観に行くとか、相撲がはじまれば出かけて行くし、小遣さえあれば、家に凝としてはいない人だった。
 母が小学校を卒業したとき、そのお祝いだというので、
 「さあ、今日からは芝居を観てもいいよ」
 こういって、二長町の市村座へ、先代・吉右衛門と六代目菊五郎の〔伊賀越道中双六〕の通し狂言を観に連れて行ったそうな。
 祖父が「うまいか。うまいだろう」というから仕方もなく「うん。うまい」と、こたえはしたが、子供のころは天麩羅や鰻よりも洋食のほうがよかった。
    --池波正太郎「天麩羅」、『日曜日の万年筆』新潮文庫、昭和五十九年。

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池波正太郎(1923-1990)先生の述懐をひもとく宇治家参去です。

たしかに「子供のころは天麩羅や鰻よりも洋食のほうがよかった」し、同じ肉を食べるにしても、鶏肉や豚肉よりも、牛肉がやっぱり一番うまかった。

子供の時分、大人からは「牛肉が一番旨いのだろうが、ものによっては、やっぱり、鶏や豚が牛に勝ることもある」

……などと聴かされたこともありますが、その意味がその当時はまったくわかりませんでした。

ですから、「うまいか。うまいだろう」などとふられますと、仕方もなく「うん。うまい」とこたえはしましたが、「だけど……」などと口にのぼせようとして、ふとその言葉をしまい込んだこともありました。

ただ、しかし、大人たちが鶏肉や豚肉について「うまいか。うまいだろう」ということに関して小さな時分には理解できなかったわけですけども、最近になってようやく、その意味がおぼろげながら理解できるようになった節がありますので、その意味では、遅くなりましたが、宇治家参去も味覚に関してはようやく大人の仲間入りができたということでしょうか。

前置きがながくなりました。

先週、香川県へ出張した折、弟へ「うどんのほかに何をやっておくべきか」と誰何したところ、

「骨付き鶏だろう」

と言われておりました。

骨付き鶏とは、鶏のもも肉をまるごと一本、スパイスをふりかけて焼いただけの料理なのですが、すこしピンとこず、たしかに香川県で住んでいた頃……遙か昔ですが、たまに「一鶴(丸亀市)」なんかで食べていた記憶がありますが、上述したとおり、肉=牛肉⇒最高という図式しか持ち合わせておりませんでしたので、

「ほんとうに、食べて帰らなければならないのか?」

少し悩みましたが、まあ、言われるままに行ってみようということで、いくつかのお店は弟からリサーチしていたのですが、高松駅に到着しますと、あいにくの雨模様。

スーツケースも引っ張っておりますし、「行くべき」といわれた銘店は駅から遠い!
しかも途中で買い物したり所用があって、へろへろになっておりましたので、

ここはひとつ、飲兵衛の〝勘ばたらき〟に頼っていくか!

……ってことで訪問したのが、「とり料理 かど弦」

高松駅を降りて、三越のほうまであるき、アーケード街が数本あるわけですが、その街と街をむすぶショートカットの通りに佇む居酒屋です。

すでに雨が激しく降り出し、真っ暗になっておりましたが、

「ここなら、たぶん、まちがいないだろう」

……ってのれんをくぐると、

「まちがいない」

……お店でございました。

さて、駅を降りてから荷物をひっぱりながら二、三用事をすませるために歩きくたびれていたこと、雨に祟られたこともあり、モーレツにくたびれておりましたので、

まずは生(サントリー・プレミアムモルツ)をお願いして、クィックのスライス・トマトで涼を得たわけですが、人生におけるこのちょっとした行為によって、それまでのくたびれ感が散逸してしまうので不思議なものです。

中ジョッキというものはなぜか数十秒の命しかありませんので、もう一杯お願いしてから、瀬戸内海は天ぷら(=この地域では魚のすり身の練り物を揚げたものをそう呼びます)が有名ですし、伊予の「じゃこ天」はうまいしなア~ということで、「とり料理や」ですが、宇和島産の「じゃこカツ」をお願いしてから、

お姉さんに、骨付き鶏についてすこしお話を伺う次第です。

骨付き鶏といった場合、きほんてきに「おやどり」「ひなどり」と肉が分かれますが、前者は「大人のにわとり」で、肉質がカタメということで食べ応えがあるそうで、後者は「子供のにわとり」ということになりますので、こちらは柔らかく食べやすいそうな。

ということで、軟弱モノですから「ひなどり」でオーダー!

次々と生ビールと格闘しつつ、先にお出ましいたしましたのが、「じゃこカツ」です。
これは「じゃこ天」に衣をつけ、トンカツのようにサクッと揚げたもので、カツのようにトンカツソースで頂くわけですが、あつあつをふうふう口に運びますと、

「肉じゃねえか、これ」

目を剥いた次第です。

すでに揚げた「天ぷら」なるものを再びトンカツのように揚げたにもかかわらずさっぱりとしてい、やわらかかつジューシー。

素材がいいのでしょうねえ。

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カント(Immanuel Kant,1724-1804)が「いやます畏敬の念と……」って『実践理性批判』で述べておりますがそのくだりを思い起こしつつ、「食べて帰った方がよい」といわれていた「讃岐の骨付鶏 ひなどり」がお出ましいたしました。

殺風景な金属のトレーのうえに、素朴なもも肉がどーん!

湯気で目がねがくもります。

やすものですから。

しかし曇ると同時に鼻から脳髄へと、香ばしい肉のにおいが駆けめぐるという始末ですから、

頼んで間違いなかった!

……というわけですが、安堵する暇はありません。

鉄は熱いうちに鍛えなければならない。そして焼き物は熱いうちにやらなければならない、ということで、骨をつかんでガブリ!

こんなはずはなかったんです。
子供時代に何度も頂いているんです。
旨くなかったんです・・・記憶のなかでは……。

記憶が足下から崩壊する。
先入見がこなごなに砕け散る。

人間という生き物は、基本的には、これまでのできあがったものの見方のなかで、それがこわれないように、そしてそこからしかものごとを判断しないように人生と向かい合う局面の方が多々あり、たしかにそれで生きていく方が楽チンで、それが壊れてしまうと、かなり頭を抱えてしまう……そういうことが多くあるのですが、後者の衝撃を嬉しく頂いたというところでしょうか。

表面は揚げたようにカラッと。
中は大トロがとろけるように。
熱い肉汁は、甘露の味。
秘伝のスパイスは食を誘う。
パリッパリッの表面の皮は最高の珍味です!

スパイス振って焼いただけなんですがね。
シンプルだからこそ旨い!

いやー。
ちっぽけな先入見や憶測の崩壊とはアリガタイものでございます。

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生ビールはすでに三杯が終了しておりますので、ぼちぼち、日本酒へ移行ということで、、、

「石鎚本醸造極み辛口」(+10)
「さぬきよいまい純米酒」

あたりで、骨付き鶏の興奮をおさえつつ、一休み。
もう1本おやどりで行くか!

……というほど、若くもありませんので、ここは串カツならぬ鶏串をお願いしました。
揚げ物ですからすぐ登場しましたが、串が五本!

しかもそれぞれに部位が違うというわけで、串で食べ比べるように、その味わいを堪能させていただきましたが、当然鶏ですので、豚にくらべると諄くなくクセがなく、さっぱりとしているのですが、肉そのもののレゾンデートルはそれとなく律儀に自己主張されているという次第で、ほんとうに、「鶏に完敗」という一時間です。

ホテルへ戻り、明日の準備もありますので、このへんが潮時がということで、最後に生ビールをもう一杯頂戴してから、店を辞した次第ですが・・・。

牛もたしかによい。
豚も豚なりにたしかによい。

しかしながら、鶏もよい。
しかも鶏は大人の味わいである。

そのことを確認し、面目をあらたにしたひとときでした。

祖父が『うまいか。うまいだろう』といわれれば、今のわたしは「仕方もなく」〝うん。うまい〟と答えることは不可能です。

「まじ、うまいっす」

こう答えるでしょう。

お近くにお立ち寄りの際はどうぞ。

ああ、忘れるところでした。

大人になってから逝きましょう!

■ とり料理 かど弦(かどげん)
営業時間 【月~土】16:00~0:00
     【日・祝】16:00~23:00
定休日   無休
住所 香川県高松市百間町9-1

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