« 兄は、真実の光のなか立ちあがれるのか、それとも、自分の信じないものに仕えた恨みを、自分とすべての人にぶつけ、憎しみのなかで滅びるのか | トップページ | これからの「正義」の話をしよう »

二十何年か前、学生たちはたいてい眉間にしわを寄せていた。始終煙草を吸っていた。煙草をせかせかと吸いながら、都会育ちの女子学生のすっきりした後姿を見送り、そして欧州文明を憧れつつ憎んだ

01 

-----

 六〇年代後半に東京に住みはじめてからは、数え切れないほどこの橋(引用者註……四谷見附の橋)を渡った。
 一九七〇(昭和四十五)年十一月下旬の晴れた夕方にも橋を渡り、地下鉄駅の売店に夕刊を買いに行った。買ったばかりの何種類もの新聞を橋の上でひろげていると、踊るような足取りで友がやってきた。
 友は私を見とめると、「どんなもんだ」と大きな声でいった。
 いぶかしむ私に、「三島はよくやった、天皇陛下は偉大だ」と、返事を待ちもせずに私の肩を力まかせに叩き、橋を渡って教会の方へ去って行った。
 二十何年か前、学生たちはたいてい眉間にしわを寄せていた。始終煙草を吸っていた。煙草をせかせかと吸いながら、都会育ちの女子学生のすっきりした後姿を見送り、そして欧州文明を憧れつつ憎んだ。
 今JR四谷駅はすっかり新しい。駅ビルという呼びかたさえ気後れするほど清潔で美しい建物のなかの店で一杯売りのビールを飲む青年たちは、みな明るく、みなハンサムである。彼らは欧州文明に憧れもせず抵抗もせず、すなわち欧化を苦にしない。モダンな風物は、長く身にまとった衣服のようになじんでいる。
 橋の上で出会った友は、その後間もなく故郷へ帰った。以来絶えて消息を聞かない。
    --関川夏央「四谷見附橋」、『昭和時代回想』集英社文庫、2002年。

-----

市井の職場での話で恐縮ですが、四月に部門マネジャーの移動があり、新しくY山さんという方が赴任なされました。

Y山って聞くと「ノック」!

……というわけで、コードネームは早速「ノック」になったわけです。
大事なのはコードネームですよ、愛称ではありません。

「ノック」の由来は、コメディアンにして元大阪府知事横山ノック(1932-2007)氏に由来するわけですが、そのコードネームを使用した際、

京都府出身24歳バイト君は、

「〝のっく〟って何スか?」

「およょょ」

……横山ノック氏を知らない世代といいますか、知らない人もいるんだな~。

驚いた次第です。

んー。

昭和は遠くなりにけり。

ただ、まあ、あれですよ。

昭和をノスタたるしてもそれはノスタルジジイの自噴にすぎません。

ですから、

「ほぉ、そんなもんなんだ」

……ってやっていきましょう。

ということで早めに寝る!

細君との二人きり生活で、いろいろうるさいわけよ。

人間に近い生活をすこし励行しようかと思います。

あづっ……。

忘れてはいけない例のやつ。

はい。また学生さんからお酒を頂戴してしまいました。

「大吟醸 夢おぼろ」(橋本酒造株式会社、石川県)。

日本海側の酒はやばいんです。

福井、石川、山形。
※新潟は私が宣伝しなくてもだれでもできますので。

慶事のときに頂こうかと思います。

02 03

昭和時代回想 (集英社文庫) Book 昭和時代回想 (集英社文庫)

著者:関川 夏央
販売元:集英社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

|

« 兄は、真実の光のなか立ちあがれるのか、それとも、自分の信じないものに仕えた恨みを、自分とすべての人にぶつけ、憎しみのなかで滅びるのか | トップページ | これからの「正義」の話をしよう »

現代批評」カテゴリの記事

コメント

暑い毎日が続きますが、熱中対策してくださいね。
時々ここで何か話したくなりますが、
すいませんです。気分次第で。

宇治家さんと比較すると自分は、荒んだ世界で暮らしているなあと思います。
大袈裟かもしれませんが_。

三島由紀夫という文字に反応してしまったようです。
何故か好きです。私のように無知で無学なやつほど三島由紀夫を好きになるのかなあ(笑)。
それは他の三島ファンに怒られますね。

恥ずかしい話ですが、ちゃんと三島の本を一冊でも読んでいないのに何故か解ったふうなつもりでいるんですね。
私のような単純な人間は「国を思えばいいんだ・・」というところで生きています。民族主義とかナショナリズムとかいいますが、どっちにしても、それが即戦争に結びつくという考えは馬鹿げてるとも思ってます。
しかし、人間は国と国の垣根をとって世界は一家になろうとするところがある愚かな生き物だ、とも思います。

私は垣根をしっかり作るのが自然だと考えます。
愛国精神を持ち、国の平安を祈る。そして他の国への同様の祈りもする。結果世界が平安に保てれば幸い_。
こんな単純明快な考えでいいと今は思っています。
この先、隣国が日本なんか邪魔臭いと感じ傍若無人に攻撃開始してくれば、受けて立つしかないとも思います。それがいやなら、なけなしの銭を集め何とか亡命する作戦を立てるだけです。
とまあ、キナ臭いところも考えていたりします。

戦後の人間ですから、どこか呑気なところもあります。
しかし、日本は他国と比較し、あまりに無防備で、
それが美徳だとまで言わんばかりの脳天気さを感じてなりません。これは私だけでしょうか?
平和主義、平和国家はいいんですが、国を滅ぼされても叫んでいられるんでしょうか。
「最後に平和を叫んで死んでいった国があります。それが日本国という国でした…the end。」
近未来の世界の国々の歴史教育で語られているシーンが目に浮かびますが。

おそらく日本という国は滅んだほうが世界のためなんでしょうか?
支那や朝鮮半島はそう思うんでしょうけど、
他の国はどうでしょうか。

武士の血が流れている者は腹を斬って潔く自決するでしょう。
でも私はどうしよう…という者も多くいるでしょう。

いっそ現在所有する武器で最後まで戦うことを選択するでしょうか。
こういうことを考える、または想像する人間はどのくらいいるんでしょうか。いないんでしょうか。それともこのきわどい危機を感じながら何事も無く百年も続くんでしょうか。
今は日本中が浮かれています。意味もなく浮かれている若者が目立ちます。浮かれていたほうが徳だとばかりに浮かれてバカになっています。バカを演じているのではなく、本当にバカに作り上げられたためバカで生きています。

愚民化は成功なんでしょうけど、本当に愚民化に成功するとは思っていたんでしょうか。ふざけてやってみたら何だか成功してしまうようだ…というちょっと驚きと共に焦ってないのでしょうか。当局は。

とりとめもなく書いてしまいました。
支離滅裂なような、質問なような、愚痴なような作文ですいません。答えもなくていいですが、どうしたものかと思ったいる次第です。といって別に私はキチガイではありません(笑)。ただ、こういうことを普通に力まずに考えて暮らすのが国民ではないのかな…とおもうからですが。

失礼しました。
また何か話したくなったら伺います。
では宇治家さんも、もとい宇治家先生も頑張ってください。

投稿: shima | 2010年7月27日 (火) 12時14分

shimaさんゑ

ありがとうございます。

ホント連日猛暑です。
お互いに水分補給を怠らずに暑い夏を乗り切っていきたいと思います。

で……。

三島ファンですかぁ。

自分も三島は好きです。

文章が美しいからという理由なので、本物の三島ファンには怒られてしまいますが……。

さて……。
既に飲んでおりましてスイマセン。

すこしだけですが、基本的に「国のことを考える」というのはひとつの自己認識だと思います。スライドさせれば「自分は誰」「私は何」っていう議論のひとつの共同体の認識論なのでしょう。

これまでの歴史において不幸だったのは、日本にかぎらず、これは国民国家というスタイルをとる制度文化をとる地域の全てにあてはまる問題ですが、その不幸とは、システム自体が、その内容を強制したところにあるのだろうと思います。

その負の遺産から、「ナショナルである」とか「国家的」という悪評が付いたイメエジを払拭することはできません。

ですが、自己認識の問題としてはこれは、考えざるを得ない問題ですから、そのままスルーすることもできません。

ですから、その意味では、そういう「上から」の「訓戒」ではない形で、フランス現代思想の言葉で言えば脱構築するかたちで、ひとりひとりの声として、「形づくっていくしかない」のかなあなどと思います。

これはナショナリズムの問題だけではありません。左翼も同じなんだと思います。

イデオロギーありきで、枠組みにはめこんでいくというスタイルです。

そうではなく、「国を思え」という素朴な発想を、「わたしはねえ、こう思うんだよねえ」という対話的公共空間から、立ち上げていく、そこが大事かなあ~って思います。

枠組みをつくってもらうのではなく、自分でそう思ったあれを、ひとびととの語らないのなかで、手弁当でつくっていく。

そのなかで、自己認識が強制されるのではなく、立ち上がっていくというのがステキな筋道なのではないかなあと思います。

自分としては、どのような思想があったとしてもいいと思うんです。
しかしそれと違う思想をもっているひとも、じぶんと同じような気持ちでいることも忘れてはいけないし、だからこそ、「語らい」というチャンネルが必要なんだろうなあと思うんですね。

「おれは、おまえの国家観には賛同できない。だけれども、憂う方向性は同じだ」

……っていうかたちで、ひとつひとつつくりあげていくしかないのかなと思う深夜です。

すいません、まともとに返答しておらず。

ただやはり大切なのは自分たちが形作られるのではなく、形作っていく、そういう方向でありたいなとは思います。

それがまさに「こういうことを普通に力まずに考えて暮らすのが国民」のひとりひとりになっていくのではないか……そう実感する次第です。

ほんと、すんません。

例の如く飲んでおりまして……って言い訳にすらなりませんが、シラフのときにもっぺん考えますので、少しお時間を下さい。

ちなみに、新しいエントリでアップしましたが、NHKの「ハーバード白熱教室」でおなじみのマイケル・サンデルの著作はオモシロイですよ。

私個人としてはリバタリアン(自由至上主義)ですが、サンデルはその対極にあるコミュニタリアニズム(共同体主義)です。

すこし、信条がブレそうになるぐらい、啓発をうけております。

是非、読んで欲しいと思います。

投稿: 宇治家 参去 | 2010年7月28日 (水) 03時04分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/451663/35912693

この記事へのトラックバック一覧です: 二十何年か前、学生たちはたいてい眉間にしわを寄せていた。始終煙草を吸っていた。煙草をせかせかと吸いながら、都会育ちの女子学生のすっきりした後姿を見送り、そして欧州文明を憧れつつ憎んだ:

« 兄は、真実の光のなか立ちあがれるのか、それとも、自分の信じないものに仕えた恨みを、自分とすべての人にぶつけ、憎しみのなかで滅びるのか | トップページ | これからの「正義」の話をしよう »