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これからの「正義」の話をしよう

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  山岳地帯に潜伏する兵士や暴走する路面電車の目撃者とは異なり、ほとんどの人はそれほど重大な選択に直面することはない。しかし、こうしたジレンマについて考えることによって、個人生活や公的場面において、道徳に関する議論がどう進むのかがわかってくる。
  民主的な社会の暮らしのなかには、善と悪、正義と不正義をめぐる意見の対立が満ち満ちている。妊娠中絶の権利を認める人もいれば、中絶を殺人と考える人もいる。富裕層に課税して貧しい人びとを助けてこそ公正だという人もいれば、本人の努力で手に入れた金を税金で取り上げるのは不公正だという人もいる。大学入試における積極的差別是正措置(アファーマティブ・アクション)を、過去の過ちを正す手段として擁護する人もいれば、実力で入学できる者への不公正な逆差別だとみなす人もいる。テロ容疑者の拷問を自由社会にふさわしくない道徳的醜態として認めない人もいれば、テロ攻撃を防ぐための苦肉の策だとして擁護する人もいる。
 選挙に勝ったり負けたりするのは、こうした意見の対立が反映されるからだ。いわゆる文化戦争とはこの対立をめぐって戦われる。社会生活において道徳的問題が論じられる際の熱意や激しさを考えると、われわれの道徳的信念はしつけや信仰によってしっかり植えつけられており、理屈を超えているのだと思いたくなるのかもしれない。
 だが、それが正しければ、道徳についての説明がうまくいくことなど考えられないし、われわれが正義や権利をめぐる公の議論とみなしているものは、独善的主張の応酬、イデオロギーの馬鹿げたぶつけ合いとなんら変わらないことになってしまう。
 最悪の場合には、われわれの政治はこうした状況に近づいていく。しかし、そうとばかりは限らない。ときには、議論を通じて人びとの考えが変わることもあるのだ。
 では、正義と不正義、平等と不平等、個人の権利と公共の利益が対立する領域で、進むべき道を見つけ出すにはどうすればいいのだろうか。
    --マイケル・サンデル(鬼澤忍訳)『これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学』早川書房、2010年。

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今の政治家たちは、政治哲学者・NHKの「ハーバード白熱教室」で有名なマイケル・サンデル(Michael J. Sandel,1953-)なんかの著作をきちんと読んだ上で、正義の問題やら具体的な政策を論じているのだろうか。

ふと頭を悩ます宇治家参去です。

合衆国の政治でオモシロイのは、どのような立場をとろうが、そして現実にはどのようなパワーゲームを遂行しようが、基本的に枠組みとしてはきっちりとした政治哲学に基づいて政党が動いているというところ。荒野の保安官を夢想した「子」ブッシュ(George Walker Bush,1946-)の不幸とはそうした政治哲学を欠いた点とスタッフに恵まれなかった点だろうと思いますが、いずれにしても理念と現実のすりあわせをきちんとやっていく。

ですから、学問の分野でも、倫理学、道徳学、政治哲学の分野でも、キチンと具体的な問題を参考にしながら学を遂行していく。こうした学と世界との相即的な関係はアメリカの哲学空間においては顕著にみられる現象ですが、そこがオモシロイところだと思います。

まあ、テレビを見ながら、辻本大センセも拙僧……もとい節操がないというか、信念も哲学もヘッタクレもないわな……と思いつつ、授業の準備のためにサンデルをひもとく宇治家参去です。

さて……。

今日の八王子は、、、

「まじ、ありえへん」

……という酷暑。

哲学の学期末試験がありましたので、出講した次第ですが、いやはや

「まじ、ありえへん」

……という糞暑さ。

昨年以上です。

そんなことをtweetしましたら、ジャーナリストの東さんが八王子が「糞暑い理由」を紹介してくれましたので、ひとつ。

「なにしろ八王子権現はインド祇園精舎の守護神・牛頭天王の8人の王子を祀るわけですから、八王子の夏はインド並みにもなりましょう」

……とのことだそうな。

これから夏の八王子を「東京のインド」って呼ぼうかと真剣に考えております。

しかし今日で八王子通勤も終わりで夏休みだ!

……と思いつつも、半月後にはスクーリング(倫理学担当)で、カンヅメだったことを思い出し、まぢでインド対策が必要であることを決意したわけですが・・・

……ということで、いずれにしましても「哲学」の受講者の皆様お疲れさまでした。

試験終了ということで、これにて「哲学」も講座としては修了しましたが、まあ、哲学の議論とは、荒唐無稽でアリエナイような議論を論じるわけですが、それはそれでもサンデルのいう通り「山岳地帯に潜伏する兵士や暴走する路面電車の目撃者とは異なり、ほとんどの人はそれほど重大な選択に直面することはない。しかし、こうしたジレンマについて考えることによって、個人生活や公的場面において、道徳に関する議論がどう進むのかがわかってくる」わけですから、その議論を通じて、世界を了解していく他ありません。

ともあれ、お疲れさまでした。

で……。
試験が済んでから、例の如く市井の職場へと行きましたが、帰宅時、大問題が発覚!

職場へ行く前に、自宅によって風呂に入ってから出社したのですが、着替えた際、自宅の鍵を忘れていたようで……。

いつものパターンです。

だいたい半年にいっぺんというのが相場だったのですが、最近、ふた月にいっぺんぐらいというペースに上昇中。

ふと、サンデルの議論が脳裏をかすめる次第です。

いわく……。

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 あなたは路面電車の運転士で、時速六〇マイル(約九六キロメートル)で疾走している。前方を見ると、五人の作業員が工具を手に路線上に立っている。電車を止めようとするのだが、できない。ブレーキがきかないのだ。頭が真っ白になる。五人の作業員をはねれば、全員が死ぬとわかっているからだ(はっきりそうわかっているものとする)。
 ふと、右側へとそれる待避線が目に入る。そこにも作業員がいる。だが、一人だけだ。路面電車を待避線に向ければ、一人の作業員は死ぬが、五人は助けられることに気づく。
 どうすべきだろうか? ほとんどの人はこう言うだろう。「待避線に入れ! 何の罪もない一人の人を殺すのは悲劇だが、五人を殺すよりはましだ」。五人の命を救うために一人を犠牲にするのは、正しい行為のように見える。
    --サンデル、前掲書。

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運転士の苦悩ではありませんが、家の鍵がないのではいれない。
入るためには、細君を起こす必要がある。
しかし、起こすことは細君に過分の負担をかけてしまう。
では、自分が家にはいるのをがまんすべきなのだろうか。

……もうしわけないのですが、電話をかけてロックを解除して貰った次第です。

さて、あなたはどうする?

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著者:マイケル・サンデル,Michael J. Sandel
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