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「祭」は終わったんです。 しかし「政」は終わっていないんです。

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twitterのフォロワーさんには恐縮ですが、やはり、ブログにも乗せておくべきと思いましたので、宇治家参去の矜持としてひとこと「冷や水を浴びせて」おきます。

当選するにせよ落選するにせよ、一晩の集団熱狂で終わってしまう精神的態度が一番恐ろしい。要するに「祭」で終わってしまうという事態です。どのように「祭」ではなく「政」を形成して行くのか。政治家(屋)の自覚だけでなく、自分を含め有権者の「今日」からの関わる責任にその翠点があるはずです。

TL上……当落の悲喜こもごも発言に……に水を挟むようで恐縮ですが、一夜の夢で終わらせて、明日からは何もなかった「祭」の後として、それぞれが関係性を断ち切り「自分の現場」へと「帰る」という名のもとに「引き篭もる」というのが、支配される・委ねて眠るエートスを醸成させてしまう、そこが趣味じゃないんです。

わたしは、熱狂が苦手なんです。特に集団熱狂が。

うわっーって大声に知らない間に飲み込まれてはいけないんです。

それが善いことでも、悪いことでもね。

自分がプロする(=支持する)対象に対しても、アンチとする(=反対する)対象に対しても等しい批判的な視座は失ってはいけないんです。

そこを人々は火中のなかで失念してしまうことが余りにも多い。

だからこそ「覚めている」ことが大切なんです。

戦前カトリックを代表する思想家吉満義彦(1904-1945)は、ラジオから流れてくる軍艦マーチに、知らない間に歩調があってしまうことに驚愕し、それに抗するが如く、Thomas Aquinasのスンマを片時も手放さず、道端でも風呂敷を開いて読んだという。

その感性を大切にしたい。

思うにこれで終わりとして「切り替える」のではなく、つねに監視を絶やさない、点検していく、関心を失わない日頃の取り組みが賢い力ある民衆の時代を水脈のように形成して行く、それを諦めない一人でありたいと思います。

ホント、「心して政治を監視せよ」です。祭は終わりますが、政はおわりません。ハードフレームとして生活に密着しておりますから、そこを失念しないようにと思います。これはどの党派・候補に対しても同じです。

「祭」は終わったんです。

しかし「政」は終わっていないんです。

「祭」が終わったとして「片づけてしまう」とそれで終わりなんです。

それが日本の政治史における陥穽なんです。

それが大嫌いなんです。

そうではない歩みをどのように展開していくのか。

今日から永遠に繰り返す日常で何をなしていくのか。

そこを大切にしたいんです。

非常に申し訳ないのですが、死ぬまで、そんでもって死んだ後も「永劫回帰」はつづくんです。

そこで、「負けず」に「挑戦」しゆく自分でありたいと思います。

すんません。

冷や水をあびせるようで。

ただね。

これは大事なんですよ。

私は一喜一憂というが極めて違和感なんです。

ですからこのときに本音のホンネとして残しておきます。

ちなみに……これもtweetネタで恐縮ですがか、「みんなの党」。

英文では「Your Party」。

Yourって誰よっ!

……って一人つっこみボケやって一人バックドロップです。

いやー無責任このうえない。

Are you join in Your Party ?

などといわれると?

ほえ……?

って感じで、

Nein,non,no……、My party !

……つうか、どこに属しようとねえ。

まあ、焼き直しでスイマセン。

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