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「好みというのは慣れの問題で、想像力が思っている以上に考えに影響するものだと分かりますな」

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 先日ご婦人たちと一緒にいたが、たまたま戦時下の節約生活の話になり、必然的にバターの代用にマーガリンを使うという話題になった。代用品はむしろ良かったというのが平均的な意見だったと思う。「実はね」ある婦人が言った、「先日バターを買ったのです。以前使い慣れた品を。そしてテーブルに、最近覚えたマーガリンと一緒に置いておきました。夫がそれをマーガリンだと思ってパンにつけて食べ、顔をしかめて、『これは駄目だ。マーガリンはいかん。戦争に負けてもいいからバターに戻ろう』と言うのです。で、今のは、いつものバターですよ、と言いますと、『驚いたな!』なんて言っていました。これはどういうことでしょうね?」
 好みというのは慣れの問題で、想像力が思っている以上に考えに影響するものだと分かりますな、と私は言った。あれこれの事について、よく「後天的に身についた趣味なのです」と、さも珍しいことのように言う。実際には人は慣れないうちは、ほとんどあらゆるものを嫌うのが普通である。例えば、私は若い頃はタバコの味を毛嫌いしていた。タバコの葉に苦労して自分を慣らすことで、ようやく嫌悪感を克服し、今ではタバコの忠実な召使いになっている。しかもタバコについても私の好みは不安定なのだ。ある銘柄のタバコでないと駄目だと思い込んでいた。でもこれはナンセンスだと分かった。戦争で税が上がり、支出を抑えようと思ったので、値段の安いタバコに変えてみた。最初は不味いと思ったけれど、今では以前の高いものより好みに合っている。婦人の夫が以前のバターより今のマーガリンを好むのと同じである。
 慣れが問題になるのは、食だけではない。昨年あんなに誰にも好まれていた帽子が今では、古代バビロニア人の流行でもあったかのごとく野暮ったくなっている。いつだってそうだ。モンテーニュは述べている。「アンリ二世の逝去のために一年間宮廷では誰もがシルクの喪服を着ていたが、その後あらゆるシルクが不快で下品なものとされるようになり、今では以前の喪服を着た者は田舎者か労働者だと見なされるようになった」 覚えている人もいるだろうが、同様に、トマス・モアのユートピアでは、金が鉄より低く見られている。家事用品はすべて金でできていたのだ。
 我々は融通のきく生き物で、好みを環境や風俗習慣に合致させるのは容易である。鼻にリングを通している蛮族がいる。ロンドン郊外のトゥーティングに住むブラウン夫人がその種族の写真を見ながら、この蛮族の奇妙な習慣について夫に話す。もしブラウン氏がユーモア感覚のある人なら、妻の耳にぶら下がっているイヤリングを指して「でも君、鼻のリングは野蛮で、耳のリングは文明的だなどと、どうして言えるのかな?」と言うだろう。このジレンマは、ギリシャ人が人肉食いを止めさせようとした蛮族のジレンマに似ているようだ。食人種が、以前は敬虔な態度で親を食していたのに、それを止めた。だが、ギリシャ人のように遺体を火葬にする慣習に従うように求められた時、彼らはぞっとした。遺体を食するのを止めるのには同意するが、火葬に付すだって? そんなことはできない。ブラウン夫人が問題視する蛮族も、鼻からリングを外すのには同意しても、耳に下げるのは当惑して断るだろうと想像する。
    --ガードナー(行方昭夫訳)「趣味について」、行方昭夫編訳『たいした問題じゃないが -イギリス・コラム傑作選-』岩波文庫、2009年。

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「たいした問題じゃない」んですが、戦前イギリスを代表するエッセイスト・A.G.ガードナー(Alfred George Gardiner,1865-1946)氏が指摘するとおり、「好みというのは慣れの問題で、想像力が思っている以上に考えに影響するものだと分かりますな」というのは、まさにその通りでございまして、自分でそう「思っている」以上に、「慣れ」というものが勝ってしまうものなのかもしれません。

ただマーガリンとバターを取り違えた英国紳士のように、なかなかそのことに気が付きにくいというのが人間世界の実情なのかも知れませんが、対象に対して当初は嫌悪を抱きつつも、その状況に慣れてしまってきますと、「まあ、そんなものよ」って「慣れ」てしまうというところでしょうか。

消費税の税率の引き上げは、福祉国家・国民生存の細かい保証国家を任ずるのであるとすれば必要不可欠ということは承知しております。

しかし、タイミングとしては今どうなのか……というところもあったり。

しかし、「引き上げ」というのが、所与の前提として議論が進んでいるようなところもあったり。

そんなところに「まあ、そんなものよ」って「慣れ」てしまうことだけには極めて違和感があります。

ちなみに宇治家参去個人としては、なんどもいうとおりリバタリアンの夜警国家論者ですから、そもそも国家が国民生活の隅々にまで「関わってくる」こと自体に抵抗があり、そもそもの違和感がありますが、それをさしおいたとしても、この時期になんで?っていうところは不可避的に存在します。

選挙を目論んだ戦略的言説ですから「いたしかたありません」が「いたしかたありません」にはしませんですから、宇治家参去は宇治家参去としてできる白バラ的抵抗を遂行するのみだとは思います。

さていずれにしましても、このクソ蒸し暑い毎日ですから、なかなか思考が定まりません。そこにうまくつけこまれたくないようにはしたいものだとは思います。

ちなみに、上述したとおり、自分でそう「思っている」以上に、「慣れ」というものが勝ってしまうものが現実の生活世界でございます。

しかしながら、なかなか「慣れ」ることのできない地平というのも一方には存在するというものです。

すなわち、この東洋の果てのちっぽけな島国の、梅雨という季節です。

昨夕の東京は激しい〝スコール〟でございました。
なんで、東京で〝スコール〟よ!ってつっこみそうになりましたが、〝スコール〟です。

雨がふると少しさわやかになるかと思いきや、そう早計すること勿れ。君死に給うこと勿れ、というやつで、クソ蒸してきております。

これだけにはなかなか慣れることができません。

頭の回路が思考停止になるほど、いや~な季節ですが、それに〝慣れる〟ことができないほど、逆に言えば、思考回路が憤然と動き出すというやつです。

まあ、宇治家参去は、飲み込まれないように、そして職業革命家とは違う寸法にて、時代をスライドさせてやろうと、ひそかに……でもないか?……思う深夜です。

つうことで、早速呑んでおりますが、、、、

大事なことを忘れておりました。

今日は短大のでの講義日です。

しかし完全にはその準備が終わっておりませんでした。

すぱっと目が覚めたので、ちょいと準備の戦いをしましょう!

いや、ほんと、なかなか、世界と「慣れ」ることのできない宇治家参去です。

ちなみに誤読があると問題なので蛇足をひとつ。

ガードナーはうえのコラムのなかで、ようするに「趣味がいい」っていう部分の恣意的なところをきちんと指摘したいのがそのねらいでした。

「趣味がいい」

……そのことばの地平を超えた、自己自身の趣味を構築するところに、ストロングなダンディズムがあるのでは……そう思う宇治家参去です。

……って、けっこう、わるくない線はいっているのだとは思いますがネ。

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