« 気の抜けた炭酸飲料、ヤスモンのインスタントコーヒーのようなバッタモン | トップページ | 革命家たちの宴 »

「聖典の成立そのものが、すでに一つの神話である」。聖典を破壊するアレクサンダーは大嫌い

01

-----

 聖典というものは、マニの経典を除けば、どれも宗祖によって書かれたものではない。宗祖が語った言葉が、長い時を経て口承によって伝えられ、やがてそれらの言葉が集められ、つながれて文字に書きとめられるのである。仏教経典の成立の歴史をみても同じことがいえる。アヴェスターも、したがってゾロアスターの生きた時代からアケメネス朝ペルシア、アルサケス朝(パルティア)ペルシアに至る数世紀の時を経てできあがったものと考えられる。仏教でいう結集(けつじゅう)、つまり教説の集録が最初いつ行われたかはさだかではない。
 仏教では仏陀が涅槃に入ると数ヶ月後、弟子のマハーカーシャパが座長となって、口伝の仏説を聖典として編集する会議を行ったと伝えられている。これを第一回の結集として、クシャーナ朝のカニシカ王のもとカシミールで行われた後二世紀の第四回の結集まで、やはり数世紀(仏滅の年は前四八六年、前三八三年などとする説がある)を要している。
 聖典の成立そのものが、すでに一つの神話である。ゾロアスター教の場合には、伝承によれば、アヴェスター玄典はアフラ・マズダーによってつくられ、ゾロアスターによってウィーシュタースパ王のもとにもたらされたという。王は金文字で書かれた最初の写本を、ペルセポリスのイスタフルの「記録保管所」に贈ったというのである。ペルセポリスの「シャサピーカーンの宝蔵」には、豪華な写本が保存されていたという別伝があるが、同じものなのだろう。「シャサピーカーン」とはサトラプの宝蔵、つまり王家の宝蔵のことである。そして、もう一つの写本は金箔の板に刻印され、マラカンダ(サマルカンド)の拝火神殿の宝蔵の中に保存されていたという。この二つの原写本はその後も厳重に守られ、保管されてきたが、ペルセポリス所蔵の写本は、前三三〇年、「呪われしアレクサンドロス」が王都に火をかけたとき灰燼に帰し、サマルカンドの写本は落城の折に奪い去られたという。
 アレクサンドロスによるペルシアの席捲はゾロアスター教の信仰の力を弱め、つづくセレウコス朝とアルサケス朝による五百年間の支配は、ゾロアスター教にとっては沈黙と暗黒の時代であった。原聖典の大きな部分が失われたのもこの時代であったという。にもかかわらず、聖典のいくつかの部分が散り散りになった経典の中に生き残り、ある部分は祭司たちの記憶の中に口承のものとして保持されつづけたという。
    --前田耕作『宗祖ゾロアスター』ちくま学芸文庫、2003年。

-----

宗教学の仕込みのために、冒頭引用文献をひもとく宇治家参去ですが、読みつつ、本題とはずれる部分ですが、まあたしかにそうなんだよな、とひとり納得。

ひとつが、だいたいの高等宗教の聖典においては、宗祖による直筆文献とか、講演速記とかによって聖典そのものが成立したのではないという点です。

引用文献でもさらりと紹介されているとおり、釈尊の語りが最初に言語化されるは入滅の直後。有名な第一回目の仏典結集というやつです。しかしこれも伝承にすぎない。

キリスト教においても同じです。
史的イエスの肉声が録音され、テープ起こしされたものがそのまま聖典になったのでないことは、古典文献学の成果を待つまででもありません。

近代の洗練された旧約学・新約学の知らせるところでは、文書化されるのは、イエスの死の直後ではなく、数十年を経ないと文書化されていないのが事実。

そして様々な文書が作成される中で、どれを聖典にするのか、どれを偽典にするのかには数世紀の時間を要しております。これは仏教でも同じ。

だから「聖典というものは、マニの経典を除けば、どれも宗祖によって書かれたものではない。宗祖が語った言葉が、長い時を経て口承によって伝えられ、やがてそれらの言葉が集められ、つながれて文字に書きとめられるのである」というのは「アタリマエ」なんです。

そしてその消息を積み上げてくれる諸文献学の成果も「アタリマエ」なんです。

肉声中心主義・著者中心主義ではないところに、聖典が成立するという事情です。
※その意味ではすで伝統宗教・制度宗教となっている鎌倉系新仏教はイレギュラーでしょうけど。

その意味では……

The author should be the last man to talk about his work.

……っていう定型文はひとつの真理かもしれません。

肉声中心主義・著者中心主義のもつ「オッカムの剃刀」式な還元主義を全否定するわけでもありませんし、その大切さも承知です。しかしそれがすべてではないというのも事実なんでしょうねえ。

またそれを形式的批判に終始する「逸脱の美学」のポストモダニズムも、(あるとすればあるのでしょうか)そうした真理のまわりを空騒ぎして「しらけてみよーぜ」ってぼやきだけですから、「批判」というので意味はあるのでしょうが、人間の生き方の問題としては「糞の訳」にも立ちません。

さて……ずれました。

「アタリマエ」の話ばかり列挙してすいません。

さて……。
そこでひっかかるのがひとつ。

要するに文献学は、肉声を伝えていないことを証明する。
しかしそれに左右されないところに信仰が成立する。

それがだいたいにおける事実なんです。

これを信仰における人間の無知蒙昧に「還元」してしまうことは簡単です。
しかし、それですべてが説明できないからこそ、信仰が成立するのでしょう。

しかし、それがひっかかる問題ではありません。

学説受容における問題にすこしひっかかるところがあるんです。

諄いようですが、文献学の証左するところによれば、極端な意味では、すべての「素説が非説」というやつなんです。

そのタームとして有名なのがまあ、「大乗非仏説」という議論です。

たしかに「大乗非仏説」なんですよ。
はっきり言えば字義即して言えば、ハイ、そのまんまなんですよね。
だからどーしたっていうのが神学者のスタンス。
そして、おなじようにだからどーしたっていうのが聖書学者のスタンス。
※もちろんそーじゃないひともいるけどね。

先にもいったとおり、聖書の言説もイエスの肉声そのものを録音したのをそのままテープ起こししたわけではありません。口伝が後年文字化されていくというのがその筋道です。ですから極端な原理主義の立場をとらない限り、「まったく関係ねえ」っていうのは大人なんですわ。

さて……。

またずれてきたので戻ります。

まあ、この「大乗非仏説」というのは仏教文献における本文批評が進展されるなかであきらかにされた問題ですが、日本で紹介されたのが明治時代。

そしてその当時一時期センセーショナルな問題となったところ。

そこにひっかかるのがあるのです。

同じような問題の指摘は、富永仲基(1715-1746)が江戸時代に既に「加上説」として批判しているのですが、センセーショナルになってしまうことはなかったんです。

それが外来の文物として新しく来てしまうと、

「うぁーっ」

……ってなってしまう。
信仰まで揺らいでしまう。

そのへんの浅はかさというのでしょうか。
ありがたさ感覚というのでしょうか。
霊性に冷静に考えれば、「だから……?」ってところなんですけど。

結局、宗教がそのひとの生き方の問題となっていない精神風土だからそうなってしまうのでしょうか……orz

仏教の場合、数回の結集を経て言語化=文書化されていくのですけど、もともとインドでは文書コトバよりも口伝こそ秘儀とされる文化ですし、大部のマハーバーラタなんかもすべて口伝でつたわり文書化されたもの、その文化でやるわけですから……。

また、旧約聖書なんかは最初期のものから最後期のものにいたるまで成立には、数百年を要しているし、様々な文書が聖典化される経緯には数世紀を要しておりますし……。

いやだからまさに「なによ」ってところ。

ついでに蛇足でいえば、だからワタシは、そうした文化財を「灰燼に帰してしまう」連中が大嫌い。

あとで困るんだよ、コレ。

だからアレクサンドロス(Alexander the Great,Αλέξανδρος ο Μέγας B.C.356-B.C323)も大嫌い。

疲れた。

寝る。

今日は楽しい飲み会なんでねえ~。

いししし。

02 03

宗祖ゾロアスター (ちくま学芸文庫) Book 宗祖ゾロアスター (ちくま学芸文庫)

販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

|

« 気の抜けた炭酸飲料、ヤスモンのインスタントコーヒーのようなバッタモン | トップページ | 革命家たちの宴 »

神学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「聖典の成立そのものが、すでに一つの神話である」。聖典を破壊するアレクサンダーは大嫌い:

« 気の抜けた炭酸飲料、ヤスモンのインスタントコーヒーのようなバッタモン | トップページ | 革命家たちの宴 »