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自己への配慮のこの原則こそが、生活術の必要性に根拠をあたえて、その展開を支配し、その実践を組み立てるのである

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 この<<自己の陶冶>>について手短に特色をあげるならば、生活術--さまざまな形式をもった生活技術(techne tou biou)--がそこでは「自分自身に気をくばる」べしとの原則によって圧倒的につらぬかれている点であろう。自己への配慮のこの原則こそが、生活術の必要性に根拠をあたえて、その展開を支配し、その実践を組み立てるのである。が、詳しく述べなければならない。人が自分自身に専念し自分自身に配慮し(heautou epimeleisthai)なければならないという観念は、実際、ギリシャ文化のなかではきわめて古い主題である。この主題は広く普及した要請として非常に早く現れた。クセノフォンによって理想的肖像が記されているキュロスは、征服を完了するが、だからといって自分の生活が完全なものになっているとは考えない。彼は自分自身に配慮しなければならない--しかもこのことが最も貴重なのである。「神々がわれわれの願いをすべて実現してくれなかったからといって神々をわれわれは非難することはできない」と彼はかの数々の戦勝に思いをはせながら、述べている、「ところが、大事業をなしとげたために、人はもはや自分自身のことに配慮したり友人と歓楽をともにしたりすることができないとすれば、それは進んで幸福をあきらめることである」。プルタルコスの伝えているスパルタ人の警句の主張によれば、所有地の世話が奴隷たちにまかされてきた理由は、スパルタの市民たちが「自分自身のことに専念し」たいためであった。
    --ミシェル・フーコー(田村俶訳)『性の歴史III 自己への配慮』新潮社、1986年。

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自己への配慮は必要なのですが、自己への配慮が過度に傾斜されると、だいたいろくなことはありません。スパルタの市民たちが「自分自身のことに専念し」たいためであったように。

フーコー(Michel Foucault,1926-1984)の権力批判論は、それまでの職業革命家たちの権力理論を脱構築することには成功したと思いますが、実践論がなかなか出てこなかった、そこがひとつの陥穽かもしれません。しかしながら、主体を自ら作り上げていこうとする人間の二律背反をしてきしたその業績は立派であり、簡単に否定することはできないなあ、などと思う宇治家参去です。

さて……。
反省は猿でも出来る!ということで、今日は飲むまい……と思い、風呂上がりにasahiのビールテイスト飲料「ASAHI W-ZERO」をプシュッとやったのですが、

まあ、これが例の如く激マズ!

それで……。

「もういいや」

……ってことで、SAPPORO ICE LAGERをプシュッとしてしまいました。

「もう本当に鯨飲しないと誓うなう」。

と宣言して6時間は禁酒できたというわけですが、まあ過度に「自分自身のことに専念し」てしまうのもあまりよくありませんからネ。

鯨飲ならぬ鮫飲ていどでゆっくり少しだけやろうかと思います。

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