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相対的に人間関係を把握して、人間の調和を求めながら追求することは、極めて困難である

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 相対的に人間関係を把握して、人間の調和を求めながら追求することは、極めて困難である。また日本のように、目に見えない所で、無の意識がひろがって人間の思考を支えている国で、人間関係を相対的に設定して見ても、元来は有の形でしか安定し得ない人間と人間の関係に、強い調和を望むことはできないかも知れない。また日本のように人格が容易に孤立して神秘性を帯びて絶対化することで安定している国土で、相対的な調和を求めることは、それ自体、雇傭関係、夫婦関係、社会階級関係等において危機意識を深め、不安定な気持ちに人間を陥れるものである。漱石の『明暗』の呼び出す恐怖、横光の『機械』に描かれた人間関係の恐れ等を考えれば足りる。
    --伊藤整「近代日本人の発想の諸形式」、『近代日本人の発想の諸形式 他四篇』岩波文庫、1981年。

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久しぶりに今日明日と2連休です。

いやー、半年ぶりぐらいでしょうか。

しかし、今日明日ともに夜半から飲み会。

またかい!

……ってつっこまれそうですが、イタシカタありません。

文芸評論家・伊藤整(1905-1969)氏が「相対的に人間関係を把握して、人間の調和を求めながら追求することは、極めて困難である」指摘するとおりです。

ですから、どっぷりと酒を酌み交わしながら人間理解を深めるほかありません。

……ということで、ぼちぼち出陣の準備。

細君の視線がイタイ。

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