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家庭のない中産階級など笑止で、現代の大都会はまさに小金のある流民で満ちている

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 「個独」など、いわゆる「団塊の世代」の無責任さの表現ではないか。彼らは(わたしも含めて)自分さえよければいい、あとにつづく世代などどうでもいいと思っている。だからこそ、バーだ不倫だ演劇だ放浪だと騒ぐのである。親の身勝手で放浪に連れ出される子どもの迷惑はどれほどのものかと思う。後続する世代などどうでもいいということは、結局、社会の連続性を信じず、世界の存続そのものをも疑っているのだ。日本に中産階級はむかしたしかにあった。少なくともあろうとした。しかしいまはない。家はあっても家族はなく、家族はあっても家庭はないからである。家庭のない中産階級など笑止で、現代の大都会はまさに小金のある流民で満ちている。
 というようなことを大声でいうととても無事で済みそうもないから、わたしは黙っている。黙って、また好きこのんで、いやいや独身生活をつづけながら、日本も長くはない、長くはないに決まっているから嘘とは知りつつ、せいいっぱい「個独」を楽しんでやるぞと虚勢を張って日々を過ごしている。
    --関川夏央「家はあれども帰るを得ず」、『家はあれども帰るを得ず』文春文庫、1998年。

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家族というのもマア、他人同士の集まりからスタートするわけですから、理屈からいえば、ひとつのフィクションに過ぎないわけなんですが、それを「フィクションだからぶっこわせ」という革命家式の弾劾口調にも違和感があると同時に、「それはフィクションでもへったくれもねえ、実体なんだ」と家元・封建家のようにくどくどと説教をたれるのもいやでございますから、

「まあ、そんなもんなんだよな」

……ってことで、家族という制度が歴史的なフィクションであることも理解しつつ、それをぶっ壊してしまおうと思わず、そしてそれを鞏固にしようとも思わず、

「まあ、テキトーにw」

……という感覚でやるのがテキトー=適当なのではなかろうか、そう思われて他なりません。

というわけで、、、
8月31日をもって、池袋のサンシャイン国際水族館が改装のため、1年にわたる休館になりますので、昨日、家族と同道した次第です。
ま、息子殿の絵日記で、家族での思い出がないというのはマズイだろうという細君の金鉄の一言にて強引にきまったわけでございますが、一昨日もヘロヘロになるまで働いて、深夜もヘロヘロになるまで酒呑んでいたので、3時間でおこされて、炎天下のなか、水族館目指して「突入せよ!」というのは正直キツイものがあったのですが、それなりに自分も楽しませて戴きました。

毎年サンシャイン国際水族館には行っているのですが、ホント、ここは都会のオアシス的なスポット。

本格的な水族館に行きたいのであれば、首都圏でもたくさんありますし、逆に簡易なもので済まそうとすれば品川のエプソンアクアリウムというのもひとつの手です。

その意味ではサンシャイン国際水族館はその中間をいくところです。
小さい水族館といえば小さい水族館ですが、やはり小さい分、対象との距離感が近いというのはひとつのアドヴァンテージなんだよなと思いつつ、今回は1回で「はい、おわり」ではなく、2回ほどじっくりと観賞させて戴いた次第です。

しかし、フルスタイル(ネクタイにブラック・スーツ、上着常用)はきつうござんした。

途中、喫煙所にて、缶ビールをプシュとして涼を得たりしていると・・・

「ノンデル先生、缶ビール片手に築地を歩いているわけではないのですね」というメッセージが入ってきたり・・・して、、

確かに、築地を歩いているわけではないのですが、缶ビール片手にしていることは否定できず、しかも、魚を見ながら、、、

「刺身か、鮨でいっぺえやりてえ」

……などと思っておりましたものですから、、、

ん……否定できないw

哀しい晩夏の蒸し暑さ。

まあ、「人生も色々、会社も色々」と言ったのは小泉純一郎氏(1942-)ですが、色々と見て回っているとひとつ発見。

TVで巷間に流布された「ガラ・ルファ」〔ドクターフィッシュ(Doctor fish, 学名 Garra rufa)〕!
メダカのような魚が手とか腕の古い角質を餌にして、手を水にいれると、むらがってくるというお掃除屋さん。

これが実は、コイ科の魚ということで驚き!

群がってくる魚の「図」はまさにメダカなのですが、マックスで15センチぐらいまでになるとのこと。

う~む。

地球は豊穣だ!

……ということで、駅まで戻ってから、最初は西武百貨店の「ホテルオークラ ブッフェ&ダイニング サファイア」にてがっつりと思っていたのですが、長蛇で断念orz

東武百貨店に向かってから、すぐに入れた……この時点でかなり腹ヘリ……11Fトンカツや「梅八」にてランチ。

ランチ・メニューをオーダーして、小海老の唐揚げ、冷や奴にてすうぱあどらい☆

いやー、昼ビール、うまいっす。

冷酒まで手をだすか悩みつつ、瓶ビール2本で我慢して、満腹☆。

いやー、これだから、「フィクションだからぶっこわせ」という革命家式の弾劾口調にも違和感があると同時に、「それはフィクションでもへったくれもねえ、実体なんだ」と家元・封建家にようにくどくどと説教をたれるのもいやでございますから、「家族ゲーム」を楽しんだ一日……だとサ☆

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コメント

25日のブログを拝見し、日頃感じている事を倫理の面からご教示頂きく、また、男性としての面からも御返事いただきたくお願い申し上げます。
多忙な中、大変恐縮ではございますが、平和社会と言われている中での本当の意味での平和、人権擁護の立場から、自らの出来ることを模索している状況です。特に、スクーリングで拝見した夜回り先生のビデオ(ネットでもシリーズで紹介されています)で拝見した女子高校生が男性社会の風俗からHIVにかかり、十代から羅漢し壮絶な死を迎え、世に訴える姿にじっとして居られない衝動にかられ、身近な主人も学生当時から加害者意識も無く、通っていて今回、羅漢していた陽性の反応が出ました。
たぶん、世の男性も女性も症状もないまま、意識なく生活を行なっている現状があるのだと思います。
幸いなことに、私は羅漢していなかった事で安堵しましたが、この現状を知ったからには、池田先生の師匠として社会変革の一端としての行動を起こし続けて行きたいと決意をしたところです。
どうぞ、これからも、ご教示ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。

投稿: 星屑の妖精 | 2010年8月31日 (火) 10時43分


星屑の妖精様

長文の体験談ありがとうございます。

言葉を失うというのはこういうことなのでしょう。

ただ、しかし、私はそのまま放置はいたしません。

社会全体の方向から問題を解決することは基本的には不可能な時代になっていると認識します。

では、変革は不可能なのかといった場合、それも否です。

ひとびとが生きている現場から、ひとつひとつクリアにしていくしかないのかなあと思います。もちろんシステムや環境の整備が不要というわけではなく同じように必要不可欠です。しかしそれと同時に、自分自身から、そして自分の関わる環境から変化の波を起こしていくことがより根本的に必要なのかなあと思います。

たゆみなく関わり続けることには勇気が必要です。

しかし、その勇気ある挑戦にこそ慈悲は脈打っていくはずなんだと思います。

ドラック、買売春等々様々な問題が山積です。

そして問題以上に様々な葛藤や矛盾に巻き込まれて、そしてそれらと分かちがたくまとわりつかれたまま生きているのが人間の現実です。

しかし、それを単純化・抽象化させずに向き合って、できるところからやっていく……それしかないのかなあと思います。

倫理の立場から考察すれば、日常生活のなかでは倫理は道徳と同じような意味合いで使われていますが、倫理と道徳には異なる側面があります。

道徳は基本的に「~すべし」という口調で語られ、そこに何か堅苦しいものを感じてしまう側面があります。

しかし道徳は「~すべし」という言い方でしか表現できませんし、それはそれでいいんです。大切なのは、「~すべし」というのを子供が大人から聞いて守るレベルの掟(他律)で済ませるのではなく、「自分は守っていくぞ」というレベルになったとき(自律)、はじめてうまくその力が発揮できるものです。

だから「徳のある人」という言い方が存在します。

それに対して倫理は「~すべし」とはいいません。
どちらかと言えば、「~すべし」が妥当するかどうか検討する立場といってよいかと思います。倫理(学)の書物には「人を殺してはいけない」理由は書かれておりません。「なぜ殺してはいけないのか」を探究する立場だからです。

だから「倫理のある人」という言い方は存在しません。

ですけど、これは車輪の両輪です。

両方が必要なんです。

生活レベルでいえば、「それはまちがっている」と言い切る、言い続ける強さが道徳の方向性(そして最終的には主体的に守っていくところに達するのがベスト)であるとすれば、その根拠を自分のなかに構築していく方向性が倫理だと思います。

道徳をひととかかわるなかで相互に検討していく。そしてそれを主体的なものとしていくために倫理(学)をしていく。

そのへんなのかなあと思います。

返答になっていないようで大変恐縮ですが、自分のできるところ、そして自分の関わるところからしか変革できないのは事実です。

ですから、そこを丁寧にやっていくしかないと思います。

その意味では、つまるところ実践としての倫理・道徳というのは「自覚」の問題につきるのかと思います。

ゴータマ・シッダールタという歴史上の人物が悟り開きブッダと呼ばれるようになりますが、ブッダとは「目覚めた人」という意味が語源にあります。

問題に対して「目覚め」行動することが必要なんだと思います。

そして男性中心社会であること自体に起因する問題がひとびとを苦しめていることも確かです。そしてその責任の一端を自分自身もになっていることを承知しております。そしてこれに関しても私自身のケースでいえば、無自覚・無意識になるのではなく、自覚的に脱構築していくしかないのかなあと思う次第です。

要点だけかいつまんで、何も答えたようになっていないかもしれませんが、ふと思ったことをつらつらと書いてみました。

また時間がおいて少し考えてみようかと思います。

8月の最終日といえども、暑い日が続きますので、ご自愛専一心よりお祈り申し上げます。

投稿: 宇治家 参去 | 2010年8月31日 (火) 12時47分

星屑の妖精様

ついでに実践の問題に関しては、自分の立場といいますか、過去ログで似たようことを論じた部分がありますので、少し紹介します。


「移りゆき、転じゆき、変わりゆくすべてのものに対する軽蔑、憎悪」ほど恐ろしいものはありません
http://thomas-aquinas.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-5291.html


特権をわざと「忘れ去ってみる(unlearn)」
http://thomas-aquinas.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/unlearn-4d82.html

投稿: 宇治家 参去 | 2010年8月31日 (火) 12時52分

素晴らしい論述をありがとうございました。
主人の通院や仕事復帰の件や受験を控えた娘の件で
多忙を極め、御返事が遅くなり申し訳ございませんでした
スピヴァクに関して、とても興味が湧きました。
倫理学を受講した折には、是非詳しくご教示願えたらと思いました。
現実の問題が、小説より奇なりと云う実感をしながら、主人の社会から逸脱した反社会的思考を社会に帰属出来るようにと試行錯誤しながら日々を送っております。主人の両親も親族も育てる環境下での家庭内暴力を世間に知られたくないと云う利害関係等から、FAXで一方的に関係を断つような文章を送りつけられ、やはり暴力的な世界は親から子へと連鎖があると実感し、祖父母から両親、両親から子へと続き、その子からまた、子孫へと連鎖が続いてます。その暴力的思考の連鎖は、心理学や児童心理学等でご教示を受けたように育つ環境下からの影響が強く、その後のパーソナリティに関与することも解り、特に母子間の心理的背景が深い事も現実の生活の中で実証的に感じている処です。そこで、今回も事件を起こした状況下から、母子関係から修復して欲しいとの願いの元、実家に戻って貰ったのですが、両者は表面的な虚偽の世界でしか関係を持てず、責任が発生すると他者に責任回避を行なって、拒否をするという構図が出来上がっており、対処方法として仕切り直しを行なっている処です。
しかし、親でありながら、問題が起こるたびに、自分の利害を優先し続ける思考と行動に人間として、切なく感じました。
主人の思考も常に利害の方向に傾き、陰で見つからなければ、何をしても良い!見つかったら逃げれば良いと云う思考が強く、IQが130以上のアスペルガー的な反社会的人格障害なので、自らの反省が両親ともに出来無い様子で、これからの未来を模索中です。日本の精神科では、人格障害の患者に関わっても治癒の確率が少なく、色んな問題に巻き込まれるので、診療拒否の病院が殆どで、社会的な背景も変えて行く必要があると、主人に15年関わり続けて感じている処です。日本社会には人格障害でありながら、放任され、また、静かにさせる為に根本原因の治療にならないのに薬漬けにさせられている怖い現状でもあります。
問題を深く掘り下げて追及して行くと、常に根の深い矛盾と無責任な思考とシステムにぶつかりますが、諦めないで改善の道を模索し行動し続けようと思っております。その上でも、大学での講義は、現実で起こっていることを理論的に整理をして頂け、また、更なる智慧に転換をさせて頂くことに深く感謝をしております。
願いは、人間が人間らしく他者と平和的な共存共栄をして行く未来になって欲しいと思います。
また、自分自身の過去から未来へとのバトンを受け取った2億からの代表としての生命として存在し、偉大な使命を帯びていると云う観点で生きる人間が増えて行くことが必要不可欠と感じます。
理性を持った人間として存在しているので、全ての環境の頂点にいる人間が、全ての生命との共存共栄する為の責任があるという点も学校教育の現場で、もっと深く教育を行なって行くことも大切と感じます。学力重視に傾き、心が育たないまま大人になり、子供の心のままで、責任回避志向が強い大人が増えれば増えるほど、未来が暗くなるので仏法的な思考を流布することが急務なのだと深く感じます。
そしてまた、1人1人の未来からの宿業が深く関与していることも、他者と深く関わり続ける中で実感している処です。
その為にも、生命変革の為の正しい仏法が必要不可欠だと云う事も理論ではなく体験的に実感を深めている処です。主人にしても池田小学校の事件などのように他者に危害を加えたい衝動を回避し続けて来れたのも仏法にめぐり逢えた結果であると実感している様子です。しかしながら、まだまだ、習癖を見詰め改善に向かう意志の弱さから、無責任な思考と行動を改める事は出来ない様子です。
これも、自らの思考を仏法の観点で深く掘り下げて見詰め自らの使命に立って生きると云う事を選択して行くことに因って変わって行くと信じ、支えている処です。
また、自分が置かれている状況は、世界的にも同じ状況に置かれている人々が急増していると実感をしています。
身近でも多くの人が同じような悩みを抱え、しかしながら深く悩んでいるのは、使命を産み育てる事に実質的に関わった女性に多く、男性側は理論的に論じることが多いのですが、実質的な改善の為の思索や行動があまり起きていないのが実情です。
人類的な問題でもありますので、もっと現実から目を背けないで、見詰め共に手を携え、未来を考え、変えて行く行動を共に出来たらと思います。
このような現状から、未来を少しでも良くする為にも現実の問題に向き合い続け、他者と関わり、示唆出来るように頑張っていこうと日々奮闘中です。
徒然なる長い文章になってしまいました事を深く、お詫び申し上げます。
また、いつも、素晴らしい論述に感謝をしております。本当に拙い私のコメントに丁寧なご返答をありがとうございました。
先生の更なるご発展とご活躍を心よりお祈り申し上げます。
また、出来ましたら、誰かの言葉を借りずに先生自らの体験等からのご意見をお聞きしたいと思います。倫理学の受講は、娘の受験を終えてからの受講になってしまいますが、その折にはどうぞ宜しくお願い申し上げます。大変楽しみにして居ります。
では、季節の変わり目ともなり、お身体をお大事に為さって下さいね(*^^)v

投稿: 星屑の妖精 | 2010年10月13日 (水) 09時03分

星屑様

ご返信が遅くなりましてスイマセン。

ご身上のご近況、たやすく返答できませんが、教室で出会うとき、是非宜しくお願いします。

投稿: 宇治家参去 | 2010年10月28日 (木) 02時12分

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