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「精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のもの(ニヒツ)は、人間性のかつて達したことのない段階まですでに登りつめたと、自惚れるだろう」

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詳しくは書きませんが、ひさしぶりに壁パンチならぬ、段ボール箱パンチ!

市井の職場での出来事ですよ、念のため。
大学ではありません(苦笑)。

要するに、ホントに辟易とするのは、「役職」と「部門」に身を鎧い、責任逃れしようとする日本の職業倫理というところ。

ということでくどいけどマックス・ヴェバー(Max Weber,1864-1920)の噺をしておきます。

マックス・ウェバーといえば、名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』や宗教社会学関連の草分けとして名高い学者です。

細かいところでは、現実にその論のすすめ方や、出典やソースの扱い方で見直しが迫られている部分もありますが、再度、手にとって読み直すとやはり「大物」ですね。

うちの先生(指導教官)も次のようにいいますが、すなわち、「小者を読むな、大物を読め(大物を研究しろ)」ですが、功罪含め、真摯に検討できる対象はやはり「大物」の“思想家”なんだろうな、と実感します。

営利の追求を敵視するピューリタニズムの経済倫理が実は近代資本主義の生誕に大きく関与したという逆説の論考であるヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』というわけですが、同著の末尾からひとつ。

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 営利のもっとも自由な地域であるアメリカ合衆国では、営利活動は宗教的・倫理的な意味を取り去られていて、今では純粋な競争の感情に結びつく傾向があり、その結果、スポーツの傾向をおびることさえ稀でない。将来この鉄の檻の中に住むものは誰なのか、そして、この巨大な発展が終わるとき、まったく新しい預言者たちが現れるのか、あるいはかつての思想や理想の力強い復活が起こるのか、それとも--そのどちらでもなくて--一種の異常な寛大さで粉飾された機械的化石と化することになるのか、まだ誰にも分からない。それはそれとして、こうした文化的発展の最後に現れる「末人たち」>>letzte Menschen<<にとっては、次の言葉が真理となるのではなかろうか。「精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のもの(ニヒツ)は、人間性のかつて達したことのない段階まですでに登りつめたと、自惚れるだろう」と。
    --マックス・ウェバー(大塚久雄訳)『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫、1989年。

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有名なくだりです。
特に「精神のない専門人、心情のない享楽人」との言葉は、現代の人間性批判としての典拠として常に用いられてきた部分ですが、たしかに現実にはそういう連中はたくさんいるんですわ。

しかし、生きている人間として、現実の世俗的経済活動を全否定することはもちろんできません。

私のような“流しの学者”なんかはひやがってしまうのが現実です。

「しかしなお・・・」。

経済的活動に限られた話題ではないのですが、現実の泥水を飲みながらも、「しかしなお・・・」--こういった部分は、折に触れてもっておかないと、

簡単に、

責任を放擲してしまうことになっちゃうんだよなア~。

そこが怖いんです。

ですから、「ちゃんと生きていく」しかないなアと思います。

ということで、ヒジョーに疲れたので、これにて終話☆。

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