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そうした語りは、他方ではただ、科学に疎い人間が使う比喩的な語りかたや、詩人にのみゆるされるべきものであることになるだろう。

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 自然的な外的世界と人間的な内的世界は、理論的な考察にとってふたつのことなった世界であり、このふたつの世界を特徴づける意義は手もちのことばによって与えられると考えられている。その語彙はさしあたり内的なもののためのことばと、外的なもののためのことばに分かれるようにみえる。だがひとは同時に、つぎにことに目を閉ざしつづけるわけにはいかなかったのである。つまり、内的世界が事実いかにして、「それ自体としては」「外的なもの」を意味することばによって特徴づけられ、外的世界が「それ自体としては」「内的なもの」を意味するそれによって特徴づけられるのか、ということである。意義に応じた特徴づけからすれば、その結果ふたつのケースは、ともに非本来的で、たんに「転移された」、いわば語り口(façon de parler)であるかにみえる。「厳密に考えれば」、そこでは一方で内的な(「心的な」あるいは人間的な)意義が外的なものへ移され、他方で外的な(自然的な)意義が内的なものへと移されてることになる。だが本来ひとは、動物について「高慢」であるとか、植物にかんして「控え目」であると語ることはできず、地域をめぐって「メランコリック」であるとも語りえないであろう--おなじように他方でひとはやはり本来は、人間について「柔らかい」とか「固い」とか、「犬のようである」とか「ウナギのようだ」とか、あるいはまたその歳では「花」も「しぼむ」にちがいないなどとは言えないだろう。そのように語れば、自然を擬人的に、人間を自然主義的に特徴づけることになるからだ。そうした語りは、他方ではただ、科学に疎い人間が使う比喩的な語りかたや、詩人にのみゆるされるべきものであることになるだろう。
    --レーヴィット(熊野純彦訳)『共同存在の現象学』岩波文庫、2008年。

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ぎゃふん☆

今日も疲れたぞなもし、宇治家参去です。

ほんと、とっとと辞めたいのですが、タツキがたたれると喰っていけなくなってしまいますので、今日も市井の職場でがっつり働いてきた訳ですが、ようやくスタッフの補充の許可が地区SD、運営部部長からおりましたので、8月中旬よりなんとか仕事が回るようになってきたので、少し、本来やるべき仕事に専念できるようになったのはアリガタイなあと思いつつ、どうしようもないのはこの暑さで毎度毎度へろへろ状態です。
※ちなみにGMS店舗のうちの会社は、売り場面積での人員貼り付けではなく、売上げに対する人員配置が基本ですので、売上げを上げないことには、スタッフの充足は不可能で、それどこから削減をモットーとする「怖ろしい」会社ですので、まあ、売上げがあがっているという意味では、健闘しているということでしょう。

さて……。
ピークタイムを終えてから、屋上でひとりで一服。

荘厳な夕焼けと対面する中で、言葉を失うといいますか、自然の雄大さに身を清められるというのはこのことなのでしょう。

紫煙をくゆらせながら、ぼんやりと西方をながめていると、

はい、おひさしぶりですが、、、

富士山とご対面。

この季節は大気の状態が不安定ですので、なかなかお見受けすることができないのですが、その勇姿に圧倒されてしまう次第です。

どう、表現すればいいのでしょうか。

自然の造形に「祈ろう」とはまったく思いません。

しかし、人間のもっている有限性をきちんと自覚させてくれるのは自然なんだろうなあと思いつつ、2本ほど吸ってから売り場へ復帰w。

この荘厳な感覚を表現したいところなのですが、あいにく当方詩人でもなければ散文家でもありませんのでなかなか難しゅうはございますが、いやー、感動した。

以上。

呑んでねる。

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