二人の道徳的な真剣さと怜悧さと熱意は、手強く、奥深く、見ていて喜ばしかった
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息子のアダムとアーロンはスプーンを持てるようになって以来、わが家の食卓で正義をめぐる議論にどっぷりと浸かってきた。二人の道徳的な真剣さと怜悧さと熱意は、手強く、奥深く、見ていて喜ばしかった。考えに迷うと、われわれはみなキクに頼る。彼女はわれわれの道徳的・精神的試金石であり、私の魂の伴侶だ。愛を込めて、本書を彼女に捧げる。
--マイケル・サンデル(鬼澤忍訳)「謝辞」、『これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学』早川書房、2010年。
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マイケル・サンデル(Michael J. Sandel,1953-)の近著の再読(2回目)を終えつつ、思った以上の「拾い物」にニヤリとする宇治家参去です。
その部分とは本論もさることながら、出版に対する「謝辞」の末尾の部分なのですが、いやー、思想家というのはだいたい皆似たことをやっているんだろうなアとはうすうす思っていたのですが、やはりその想念が的中した次第で、ニヤリです。
息子の名前はアダムとアーロンではありませんが、わが家でもときどき「正義をめぐる議論」に息子、細君ともどもに参加して頂いております。
そのたびに、
「ウザイ」
とか
「はぁ~」
……ってやられるわけですが、そこでこちらとしてもはじめてフツーの感覚を甘受したり、怜悧な議論を踏み倒してしまう生活臭に圧倒させられたり、はたまた逆に合理的な議論を破壊してしまう怜悧な視点に出会ったりと、まあ、学ぶところが多いんです。
さて……。
息子殿は一足早く細君の実家へと帰省。
そしてその細君も金曜日に帰省してしまいましたので、同曜日から数日、独身貴族というやつです。
すこし暴れてやろうかなあとは思いますが、何しろ軍資金が底をついておりますので、暴れることも難しく、青色吐息の毎日となりそうですが、数日は、のんびりとした気分を味あわせて頂こうかと思います。
ただ細君からは、育てているニガウリと、金魚・熱帯魚・その他諸々一族郎党の世話を仰せつかっておりますので、これだけはキチンとやっていかないと、「これからの「正義」の話をしよう」などといっても、どのような「正義論」をもってしても勝利を得ることは不可能ですから、これだけはキチンとやっておきます。
いやー、しかし、
プランターでの栽培ですが、この夏はよく育ちました。
マイニチ・ノンデルは宇治家参去ですが、いまから収穫が楽しみです。
でわ☆
これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学 著者:マイケル・サンデル,Michael J. Sandel |
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