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人間が一緒に仲よく暮らすためには、人間という共通の呼び名だけで、その上何がなくとも充分でありましょうに

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 人間が一緒に仲よく暮らすためには、人間という共通の呼び名だけで、その上何がなくとも充分でありましょうに。けれどもかりに、動物に対してはずいぶん睨みのきく自然も、人間界では手も足もでないといたしましょう。しかしそれならば、キリストはキリスト教徒に対してもなんの力もないというのでしょうか? 理解力をもたない動物たちに、いとも強い力を及ぼしている自然の教えが、人間にはまるで効目がないといたしましょう。でもそれならば、自然の教えよりはるかに優れたキリストの教えが何よりも力をこめて説いていること、つまり平和と相互の献身を、その信者にしっかりと納得させることが、なぜできないのでしょうかしら? せめて、互いに戦争しあうというような神を恐れぬ猛りたった狂気だけでも、どうして人間の心から取り除けないのでしょうか?
 私は人間という言葉を耳にすると、まるで生まれる時から自分と親密だった仲間の所へ行くみたいにすぐそちらの方にかけつけるのですよ。
    --エラスムス(箕輪三郎訳)『平和の訴え』岩波文庫、1961年。

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宗教改革前夜のヨーロッパ。
その戦禍を否定し、平和への具体的提言を良心の叫びとしてまとめ上げたのが、ネーデルランドの人文主義者、司祭エラスムス(Desiderius Erasmus,1467-1536)の『平和の訴え』なのですが、再読しつつ、為政者の無責任と欺瞞の告発、そして民衆の自覚と協力を呼びかけるその姿は、まさに勇気ある挑戦ではなかろうか……そんなふうに思ってしまう宇治家参去です。

動物や植物というものは平和に暮らすようにと、ある意味では「設計」されている。
しかし人間は、それを人為的に作っていくしかありません。

ですから、大切なのは「話してみないとわからない」。
この一点に集約されてしまうよなあ……ということで、昨日は、通信教育部の学生さん諸氏と酒を囲んで話をして来た次第です。

東京、埼玉、静岡、愛知、大阪、兵庫。
そしてバンコックの友たちと怪飲。

皆様遅くまでありがとうございました。

これに懲りずにまた呼んでくだされば幸いです。

なにしろ、ワタクシも「私は人間という言葉を耳にすると、まるで生まれる時から自分と親密だった仲間の所へ行くみたいにすぐそちらの方にかけつけるのですよ」というわけですから、、、。

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