« 【覚え書】「今週の本棚:海部宣男・評 『進化の運命』=サイモン・コンウェイ=モリス著」、『毎日新聞』2010年9月26日(日)付。 | トップページ | ……カントは単に思弁哲学者であっただけではありません。 »

【覚え書】今週の本棚:白石隆・評 『アカデミック・キャピタリズムを超えて』=上山隆大・著」、『毎日新聞』2010年9月26日(日)付。

01

-----

今週の本棚:白石隆・評 『アカデミック・キャピタリズムを超えて』=上山隆大・著
 (NTT出版・3360円)

 ◇公から私へ、科学知識の変容を問う
 アメリカの科学技術が圧倒的な国際競争力をもっていることはよく知られている。アメリカの大学の知的生産システムが市場の力とうまく融合しているためである。こうした大学と市場の連携は近年のものである。またそれとともに、科学知識を生み出す研究の現場は公的なものから私的なものに変質しつつある。ではこういうアメリカの大学の変容をどう理解すればよいか。それが本書のテーマである。

 アメリカの大学が世界で指導的地位を確立したのは1940-50年代のことだった。この時期、「基礎研究」と「応用研究」の二元論の上に、基礎研究の重要性が確認され、大学の科学研究へ巨大な政府資金が投入されるようになった。

 ここで鍵となったのはリニアモデルだった。基礎研究から応用研究を経て技術革新へ、知識は直線的に流れていく。したがって、基礎研究こそすべてのオリジナルなアイデアの根源であり、基礎研究を支援することは、結局、技術革新を通じて、人々の生活を豊かにすることになる。これがリニアモデルの基本的考え方である。しかし、これは神話である。

 ところがここで経済学が援軍を送った。自由主義経済では、基礎的な科学研究は、不確実性の高さと初期費用の大きさから民間企業のみで遂行することは難しい。つまり、科学研究は自由な市場経済では達成できない典型的な「市場の失敗」の例であり、そのためには市場取引により親和性の高い応用研究と市場では対応できない基礎研究を厳密に切り分け、基礎研究の投資は政府が行うほかない。科学研究への政府資金の投入がこういう議論で正当化され、公共政策の一環となった。

 アメリカの基礎研究投資はリニアモデルに支えられて1950-60年代に急増し、1960年代以降、政府の研究投資全体の70%以上を占めるようになった。しかし、アメリカの大学は1970年代以降、再び変貌(へんぼう)した。生命科学関係の研究予算が急増し、1980年代以降、これがアカデミックな研究成果をもたらした。そこで重要なことがおこった。研究成果の特許化と民間企業との連携である。

 大学研究の特許は1980年代から急増した。ここで大きな役割を果たしたのがベンチャーキャピタルだった。その役割は資金的なものに留(とど)まらない。革新的な技術を大学の研究室や実験室から発見し、創業者に特許のライセンス供与の方法や経営ノウハウを伝授し、法律事務所、会計事務所を紹介するとともに、既成の大企業との連携を手助けする。ベンチャーキャピタルはこうして、大学、企業、研究機関、金融機関などを結びつける中心的役割をはたした。これに対応して、大学の研究と教育の現場も企業活動そのものとなった。こうして現在では、大学の研究組織は、それぞれが独立した企業体のようになり、チームのヘッドをつとめる研究統括者(PI)はプロジェクトを編成し、管理し、グループの研究者をまとめ、研究成果を外部に発信し、研究市場で勝ち残ることで外部資金の獲得に責任を持つ経営者のようになっている。

 この結果、大学を中心として生産される科学知識はかつての公的なものから私的なものへ、その性格を変え始めた。科学知識は一般的な性格をもてばもつほど、またより多くの、より広範囲の自然現象を説明できればできるほど、その評価は高い。特許化、市場化、商業化は科学のそうした公的性格を根本から変えつつある。ではそれにどういう意味があるのか。

 本書はここで、科学知識とはなにか、というきわめて根底的な問いかけをする。科学知識は一般に、仮説と論証によって検証を繰り返されたステイトメントの集合体として科学者の外部に蓄えられた記憶と記録と考えられてきた。これがオープンサイエンス・モデルである。しかし、科学理論の成立プロセスには多くのアクターが介在し、科学知識は実は、情報にコード化されるまえに、多くの研究者とのコミュニケーションの中で加工され、交換され、つくり出されたものである。

 基礎研究と応用研究の二元論の基礎にはオープンサイエンス・モデルがある。しかし、科学知識をコード化した情報と限定的にとらえるのでなければ、科学をどう考えるかについても、基礎科学/応用科学とは別の考え方がありうる。そこで著者は「生まれたばかりの知識」と「連携可能な知識」という分類を紹介する。こうした知識はいずれも、知識として一般的であろうとすれば、基礎科学ということになる。しかし、生まれたばかりの知識には知識のネットワークがない。そのため応用は難しい。一方、基礎研究でも、科学の外部と連絡の経路をもっていれば、この経路を辿(たど)って、知識の市場化がもたらされうる。知識が形成される実践的なプロセスとそこに介在するさまざまのアクターの存在が知識利用の外部性を構成する。

 科学技術政策を根本的に考える上で非常にためになる本である。

    --「今週の本棚:白石隆・評 『アカデミック・キャピタリズムを超えて』=上山隆大・著」、『毎日新聞』2010年9月26日(日)付。

-----

02

アカデミック・キャピタリズムを超えて アメリカの大学と科学研究の現在 Book アカデミック・キャピタリズムを超えて アメリカの大学と科学研究の現在

著者:上山 隆大
販売元:エヌティティ出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

|

« 【覚え書】「今週の本棚:海部宣男・評 『進化の運命』=サイモン・コンウェイ=モリス著」、『毎日新聞』2010年9月26日(日)付。 | トップページ | ……カントは単に思弁哲学者であっただけではありません。 »

現代批評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/451663/36956398

この記事へのトラックバック一覧です: 【覚え書】今週の本棚:白石隆・評 『アカデミック・キャピタリズムを超えて』=上山隆大・著」、『毎日新聞』2010年9月26日(日)付。:

« 【覚え書】「今週の本棚:海部宣男・評 『進化の運命』=サイモン・コンウェイ=モリス著」、『毎日新聞』2010年9月26日(日)付。 | トップページ | ……カントは単に思弁哲学者であっただけではありません。 »