予言者も、先覚者もいなければ、傀儡すら存在しない・・・
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予言者、すなわち先覚者は、つねに故国に容れられず、また同時代人からも迫害を受ける。大人物も常にそうだ。かれが人々から尊敬され、礼賛されるときは、かならず死んでいるか、沈黙しているか、それとも眼前にいないかである。
要するに、問いただすわけにいかぬ、という点がつけ目だ。
もしも孔子、釈迦、イエス・キリストがまだ生きていたら、その教徒たちはあわてずにいられぬだろう。かれらの行為にたいして、教主先生がどんなに慨嘆するか、わかったものでない。
それゆえ、もし生きていれば、迫害するほかない。
偉大な人物が化石になり、人々がかれを偉人と称するときが来れば、かれはすでに傀儡(かいらい)に変じているのだ。
ある種の人々のいう偉大と微少とは、自分たちがその人を利用する際の効果の大小を意味する。
--魯迅(竹内好編訳)『魯迅評論集』岩波文庫、1981年。
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どうでもいいけど、どうでもよくないので、ひとつ日記(⇒歴史化)として残しておきます。
昨日は、つまり、9月2日というわけですが、65年前の今日、当時の日本政府が東京湾に浮かぶ戦艦ミズーリ号艦上で連合国に対する降伏文書に調印し、第二次世界大戦が公式に終結しました。
その65年後の昨日、小沢センセと管ソーリがのアレ=代表選公開討論会がおこなわれていたようですが、視聴しつつ、アレ???と思うことが多々。
1945年は降伏文書の調印式でしたが、65年後のその日は、国民に対する敗北宣言なわけ???……って頭をかかえつつ、、
……まあ、それ自体がいつものアレよってわけです。
前者は、実現不可能なマニフェストへの執着という美名を隠れ蓑に提案何も無しw
後者は、選挙でビンボー籤ひいた近い将来の消費税構想を持ち上げ、現状をスルーw
結局、小物のガナリ合い(=愛)かとガックシorzな昼下がりでございました。
まあ、いずれにしても話し合いを拒否するおふたりですからイタシカタありません。
前者はそもそも人間嫌いですし、後者は自己中のイライラ・かーんですしね。
はっきりいえば、人格とか人間性はどうでもいいんです。
きちんと仕事をすれば。
しかし仕事もしないし、それですと……ねぇ。
辟易とします。
そんでそれを演出しているかのように錯覚している大手マスメディア。
はっきりいえば、自覚した民衆はそこまでバカではありませんよ。
小物は歴史に残らない。
大物は歴史に必ず残ります。
そーいや、指導教官の先生も「小物を研究しても意味がない。大物をやりなさい」といっていましたが、今の世の中、小物ばかり。
あづ……。
本当の大物は、無名の庶民なのだ。
以上。
マイニチ・ノンデルので呑んで寝るw
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魯迅評論集 (岩波文庫) 販売元:岩波書店 |
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