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書物を読み文章を書くということはすでに他人と相語っていることなのである

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 我々は人間存在への通路を最も常識的な日常生活の事実に見いだした。そこにはすでに人間存在の表現と了解とが豊富に存すると言った。そこで我々はこの日常生活の中から我々に最も手近な人間存在の仕方を選び取り、それを通路としてまっすぐに人間存在の根本構造まで掘り下げてみたいと思う。
 哲学的考察にふけるものは通例ただ一人で書斎に閉じこもるとかあるいは静かな道を漫歩するとかする。そこで最も手近な存在を問題にする場合には、机、紙、筆、インキ壺、書物、窓、表の通り、あるいは野、山、森などがでてくる。そういうものが自分の外にあって、おのおのその一つの面を示している。自分はそれを知覚し、あるいはそれらを使用する。それが何らの思想的加工をも施さない「自然的立場」での事実であると考えられる。そこで「我れの意識」であるとか、「世界の中に有ること」であるとかと呼ばれるものが考察の出発点になる。が、それは果たして最も手近な事実であろうか。自分も今同じようにひとり書斎にあってこの文章を書いている。それは他の哲学者がその書斎において我れの明証について書いたと同じ情況である。しかし、彼らは我れの明証について書きながらしかも他我の明証を同時に認めようとしないという不思議な態度を取っている。一体書くということが読む相手なしに発達して来たとでも考えられているのであろうか。「我れのみが確実である」と語るのはそれ自身矛盾である。書くのは言葉の文字的表現であり、言葉はただともに生き、ともに語る相手を待ってのみ発達して来たものだからである。たとい言葉が独語として語られ、何人にも読ませない文章として書かれるとしても、それはただ語る相手の欠如態に過ぎないのであって、言葉が本来語る相手なしに成立したことを示すのではない。そうしてみれば書物を読み文章を書くということはすでに他人と相語っていることなのである。いかに我れの意識のみを問題にしても、問題にすること自体がすでに我れの意識を超えて他社と連関していることを意味する。いかなる哲学者もかかる連関なしに問題を提出し得たものはなかった。
    --和辻哲郎『倫理学 (一)』岩波文庫、2007年。

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ちょと今日は朝から一日中出かけるという忙しい一日でしたが、充実した終日でありました。

ちと書きまとめたいことは多々あるのですが、いったん先にお休みいたします。

文筆家の晋平兄さんありがとうございました。

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倫理学〈1〉 (岩波文庫) Book 倫理学〈1〉 (岩波文庫)

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