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「健康は義務である」(第三帝国)

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 「人間という生きものは、悪いことをしながら善(い)いこともするし、人にきらわれることをしながら、いつもいつも人に好かれたいと思っている……」
    --池波正太郎「谷中いろは茶屋」、『鬼平犯科帳 (2)』文春文庫、2000年。

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昨日の夕方、叫んで連投していたので、まとめておきます。

「あの~もう何度も話題になってると思うのですが、喫煙者はやっぱり「悪」なのですか、喫ンデルセンセ?」

→善悪という範疇よりも、良いか悪いかという意味では、「やや悪」から「限りなく悪」の狭間でしょうか(苦笑

悪が相対的な相互移項可能な対象であり、善は真・善・美と三位一体の絶対的なものとすれば、悪かどうかというのは、善悪の二項対立で議論するよりも、行為としてはその行為が良いのか・悪いのかという意味合いで見た方がすっきりするかと思います。
※しかし、以前にもちらっと触れましたが、「絶対的」という言葉は不動の概念として流通しているフシがありますので、この概念に関してもそうしたプラトニズム的解釈ではない意味合いで考える必要はあるかと思います、一応念のため。不動の概念はときとして相即的相対性へと転化しますから。

脱線したので戻ります。

で、、良いか悪いかという意味では「やや悪」から「限りなく悪」の狭間かなというのが実感です。喫煙者という個に即してみれば、ダイレクトに健康に悪影響を与えるという意味で見てみれば、「限りなく悪」でしょう。

しかし、功利主義的数量計算によってスルーすれば(苦笑、他の要因よりも「よりマシ」(乃至かえって良い効果がある〔例えばストレス軽減〕)になるとすれば、「やや悪」から「どちらでもない」領域へ推移可能です。

では、全体との関係を見てみた場合。喫煙者共同体においては、喫煙の二次被害に関しては、被害があるという事実、そして相互にそれを承認しているという意味では「やや悪」でしょうか。しかし非喫煙者を含む共同体においては、一方的に影響を与えてしまうという意味では「限りなく悪」へスライド。

ただどちらにしても功利主義的軽量計算で計らないとorzなわけですが、まあ、これは「良いのか、悪いのか」って言い方自体が功利主義的だからどうしようもありません。

判断基準を健康以外に求めてみるとまた「良いのか、悪いのか」というゾーンは移動するんじゃあないでしょうか。まあ煙草を善とする理由は、根拠のない確信以外にはないとは思いますが(苦笑

ついでの蛇足ですが、私は喫煙者ですが、本朝の喫煙者のマナーの悪さ自体は問題だと思いますから、改良されて然るべきだと思います。いうまでもないことですけどね。しかし、言葉狩りを彷彿とさせるような、ヒステリック嫌煙論には違和感はあります。

それとヒステリックではないものですが、健康という基準を唯一の「善」とする御旗を掲げて「健康」を強要するような言説にも悩みます(しかしその対極にある「すべては自己責任」と言い切ってしまう還元主義にも均しく悩みます)。

言い方がどれも「美しくない」からでしょうかねえ。

ま、いずれにしましても、喫煙者ですけれども、喫煙マナーに関しては厳しく律するようには心がけております(キリッ  

人が一人生きることができないのであるすれば、自分は横に置くとしても、他者に配慮はしたいものです。

しかし、この「自分は横に置く」という発想が、実はナンセンスなのかもしれませんけれどもネ。人の命に配慮すると断りながら、自分の命には配慮しないという言説破綻をみてとれます(苦笑

ただ、このことは喫煙マナーだけにかぎらないことは明記しておこうと思います。人間が生きるということ自体、良いことにせよ、悪いことにせよ、絶対に「影響」を与えてしまうわけですから。そこから自由になることはその人が「生きていて」も「死んでいても」不可能です。

ちなみに、ナチス・ドイツは、実は嫌煙国家。ヒトラーの個人的趣向に起因する理由(菜食主義+嫌煙家)と「産めよ増やせよ」という国家プロジェクトに起因する理由からです。

ロバート・N・プロクター(宮崎尊訳)『健康帝国ナチス』(草思社、2003)でその辺の消息は詳しいです。

藤原辰史『ナチス・ドイツの有機農業―「自然との共生」が生んだ「民族の絶滅」』(柏書房、2005)もおもろいですよ。

「生命のために」の禁煙その他健康奨励国家が「生命」を破壊する消息がよく理解できます。

高度に完成されてゆく全体主義国家と国民のためとしてデザインされる高度な福祉国家とは交差してしまうものなんです(涙。 ともに管理社会ですからネ。

しかし、そもそも、本当に「煙草」は躰に悪いのか?? まあ、いずれにしても「引かれ者の小唄」にしかすぎませんけれどもネ。

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現代批評」カテゴリの記事

コメント

人は呼吸しないと生きられない
人がいるところで吸うことは
なるほど「吸う」動作は本人だけを
さしているけど
当然、周囲の人も吸うことになる
否応なしに。
昨今の有害性は、吸う側も周囲の人も
共有してる「事実」なので
その前提において、なお人前で吸うことは
自分の「不健康」な嗜好を他人に強要することになる。
そこを百歩譲って、
押しつける意志はないとしても
(当方喫煙者なため)
喫煙率の多かったいままでの時代は
まとめると
無自覚な喫煙ファシズムの時代だったと
言えるのでしょうね。

ただまあ、ネットでいろいろ読みますと
驚くのは、
昨今の禁煙化、規制強化を
ファシズムだと主張している人々の
ボロボロに破綻した論理を
唯一、筋が通ることを可能にするのは
彼らが、もともと煙草が嫌いである。
ということ、仮説だけなのですが。

投稿: ケムール人 | 2012年1月20日 (金) 12時08分

はじめまして。

「無自覚な喫煙ファシズムの時代」というご指摘はまさにまさにですね。

僕自身も喫煙者の一人ですが、そのことは深く実感しております。

投稿: ujikenorio | 2012年1月24日 (火) 02時59分

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