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斉藤秀三郎氏が、窮迫の結果(?)流れ流れて私の郷里に来り、私の実家の筋向ふへ私塾を開かれた

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 私が始めて手にした英語の本はスペリング・ブツクで、今でもよく古本屋で見る瑠璃色紙表装の薄い小冊子である。明治二十年頃であつたと思う。大学を放逐された(とあとで聞いたのであるが)斉藤秀三郎氏が、窮迫の結果(?)流れ流れて私の郷里に来り、私の実家の筋向ふへ私塾を開かれた。勧めらるるまゝに入門したが、短気な先生の態度がおそろしさにたツた一日でやめた。尤も先生の方から余り年が若くて外の者と一緒にやりにくいからと断られたのであつたやうにも思ふ。その時ともかくも買はされたのがこのスペリング・ブツクでえある。
    --吉野作造「初めて読んだ書物」、『東京朝日新聞』一九二六年一一月一七日付。

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いやはや世の中とは狭いものよと思わざるを得ないなア~というのをつくづく実感する昨今です。

いわゆる国家による教育管理の問題や、大学の予備校化の問題(→アルゲマイネ・ビルドゥングとしての教養教育の軽視)を議論するなかで、--まあその深刻な消息に関してはイヴァン・イリイチ(Ivan Illich,1926-2002)の「脱学校化」(deschooling)に関する論述でもお読み下さい--、結局のところは、茂木健一郎氏()も指摘するように、ノマド的な私塾のようなものを立ち上げそこから教育というものをいっぺん組み立て直す必要がある--そんなことをまあ、考えているわけでござんすが--。

そうしたことをいろんなひとと議論するなかで、サイトウメッソドやサイトウキネンオーケストラで有名な斉藤秀雄(1902-1974)氏の音楽教育ののやり方がひとつ参考になるのでは?? まあ、斉藤秀雄氏が、1948年に始めた「子供のための音楽教室」に一つのヒントがあるのかもしれないというところ。

※小野さんありがとうw
http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20101006/p2

世界の小澤--小沢一郎(1942-)君ぢゃアありませんヨ--で有名な小澤征爾(1935-)さんもその門下。

現在の桐朋学園大学の定評のある音楽教育の元祖となったわけですが、実は、まだそこから繋がりが!

……ということで驚き。

実は、この斉藤秀雄さんのお父さんが『熟語本位英和中辞典(Saito's Idiomological English-Japanese Dictionary)』で有名な、明治・大正期を代表する英語学者・教育者の斎藤 秀三郎(1866-1929)先生!

斎藤先生の文法理論は、現代の眼から見れば体系的理論としては必ずしも科学的とは言えないものの、日本人のような英語を母語としない民族が英語をシステマティックに学習する上では今なお実用的であることで知られており、日本の外国語学習のひとつの実用的パターンの土台を作った先達といえるわけですが、実は、この斉藤先生に教わった一人が……たった一日ですけどネ……、ワタクシが博士論文で扱っている吉野作造(1878-1933)大先生というわけです。

いやー、びっくり。

マジで世間はせまかった。

……というか、その印象を記した「初めて読んだ書物」(『東京朝日新聞』一九二六年一一月一七日付)というのは何度も読んでおりますが、そのサイトウさんと、あのサイトウさんが一致せず、しかもその息子さんのまで繋がっている……教育的手法としてですが……というのには、実に吃驚です。

いやー、びっくり。

マジで世間はせまかったw

吉野作造の通った斉藤先生の英語塾というものは、「古川英語会」といい、青年向けの講習会であったとか。

一八八七年に、古川日本キリスト教会が信者一四名で設立されたことがきっかけとなり、発会には教会関係者、古川小学校校長、十日町の荒物商らが尽力している。「古川英語会」は一八八八年に、斉藤秀三郎先生を講師に招き、教会の建物を借りて数ヶ月間開催されたそうです。

まあ、なにしろ斉藤先生自体が、東北学院長押川方義(1852-1928)から洗礼を受けたクリスチャンですから、当初は熱心に布教活動にも従事したとか。

吉野は、「勧めらるるまゝに入門したが、短気な先生の態度がおそろしさにたツた一日でやめた」と後年に述懐しておりますが、おそらく小学生(当時の吉野は高等小学校の一年生)についていけるような内容でもなかったのでしょう。

いやー。びっくり。

マジで世間はせまかったw

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