「最大の悲劇」をレコンキスタする二日間に感謝(2)
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最初に「アロウの不可能性定理」のことを私に教えてくださったのは、ミシガン大学のアラン・ギバード教授である。といっても、大学院で<論理学>を専攻していた私は、<倫理学>を中心に講義されていた先生の授業を受けていたわけではなかった。なにかのシンポジウムの後の立食パーティで、「君はゲーデルを研究しているそうだが、社会科学の分野にも不完全性定理のような事実があることを知っているかね」と、ワイングラスを振り回しながら教えてくださったのである。
当時の私は、先生が「キバード・サタースウェイトの定理」を証明されたことさえ知らなかったが、畏れ多いことに、ギバード先生は、コンドルセのパラドックスからアロウの不可能性原理にいたる概略を、紙ナプキンに図を書きながら丁寧に説明してくださった。そのおかげで、私は社会科学の分野にも衝撃的な世界があることを知ることができたばかりか、それ以上にありがたかったのは、先生が、狭い専攻分野だけに拘泥していた私の視野を広げてくださったことである。
--高橋昌一郎『理性の限界--不可能性・不確定性・不完全性』講談社現代新書、2008年。
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二日連日で先の週末の秋期スクーリングのエピソードでスイマセン。
まあ、それぐらい色々と考察することがあったので続編ということでw
さて、人生において<生>があれが、同時に<死>があるように、ものごとには、<明>もあれば<暗>も存在します。それぞれが自存できないのが事実であるにもかかわらず、それぞれが自立存在するように扱ってしまうのが、近代の学問の陥穽という奴でございます。
ですから、本当の学問という奴は「教室」や「教材」だけで終わるわけでないにもかかわらず、システムとしての教育「制度」はそれで完結させてしまうわけですから、、、
そこに強烈な違和感を抱いた変人がワタシということなのでしょう。
まあ、だから、学問で「喰って」いけないという不断の事実を突きつけられてしまう訳ですけれども、その辺をテキトーにやってしまうと不味いわけですから、丁寧にやる!
--っていうわけで、連日共に、夜の白熱教室?を続けてしまった次第です。
初日(土曜日)は、最初から愛知の学生さんHさんと差しで飲むという約束をしておりましたので、準備万端望む筈が、前日の金曜日が市井の仕事を入れてしまっていたので、2時間寝てブッ通し講義を朝の9時から18時までやったものですから、ヘロヘロになって参加。
ちょうど昼休みに、2年前の秋期スクーリング--実はこれが初めて秋期スクーリング担当で、激論になっちゃって、自分が「まあまあ皆さん」て抑える役に回ったという貴重な体験をした--に参加した学生さんMさんと遭遇。
ぢゃあ来る?
……って次第にて・・・。
それから、教室へ戻ろうとすると、本年の6月末に地方スクーリングで受講した学生さんTくんと遭遇w
ぢゃあ来るか?
……って次第にて・・・。
そして午後の講義を終えて、
「今日はありがとうございました。みんな徹夜なんかするなよッ、キチンと寝てから明日の講義を参加するように」
……って念を押してから、
質問の応対をしてから、最後の学生さんのAさんと応対をしているといい時間。
「いまから〝軽く〟みんなで行くケド、来る?」
……って誰何したところ、、、
「今日よりは明日の遅い時間の方がいいんです。明日試験ですよねえ。でも・・・」
「行くかッ」
……って寸法で膨らんでしまい、皆さんでレッツラゴーという始末です。
参加者一同、ホテルを取っておりましたので、チェックインしてから集合w
静大センセ御用達の「月の雫」に結集した次第です。
さて……。
「月の雫」@八王子の入っている駅ビルは、様々な居酒屋さんが同居している激戦区。
エレベーター口の1Fはまさに、
「わたしの店に入って!」
……という激戦区。
客引きの声を背中で受け流しつつ、
「あれ、センセ」
……って声にorz
以前、短大で哲学を教授した優秀な学生さんに、
「センセ」
……って声をかけられてドン引き。
アルバイトでがんばっていたようです。
訪問先がちがったの、無礼をわびた次第ですが、
いや~ぁ、この界隈で悪いことはできませんネ。
※って悪いことは何もしておりませんがw
さて……。
「〝軽く〟」の予定であり、「差し」でやる予定でしたが、23時まで怪飲。
散会してから、Hさんと二人で2次会。
イミフに26:30ぐらいまでやっていて、ホテルへ戻って爆死。
2時間寝てから授業の準備をして二日目の講義を開始した次第です。
緊張感の漂う中、二日目の白熱講義を続行w
泣きがあり、笑いがあり、学問としての峻厳とした時間を経て、最後のスクーリング試験。
試験は50分ですが、20分過ぎると退出できますので、三々五々と一人一人の学生さんたちが退出していくわけですが、
嗚呼、この瞬間を経験するたびに、
「今回の授業も、もう終わったんだよなあ」
という寂寥感にさい悩まされつつ、本当に参加してくれた学生さんひとりひとりに「ありがとう」と最敬礼w
そしてすべて終わってから、、、早く退出した学生さんが廊下で待っていたようで、サインをしたり、雑談したりしながら、
「センセ、2年間……倫理学は2年次配当科目……いろんなスクーリングを受けてきましたが、最高の授業の二人目でした。ホントありがとうございます」
……と受講した若い青年Wくん。
話を聞いていると、もう一人のセンセのことがなんとなく理解できたので、
「ひょっとして、そのセンセって」
「英会話の佐野潤一郎先生です。授業で泣きました」
……とのこと。
もう一度会いたいんですヨ
なんていうので、佐野センセは、今日、担当教員で来ているヨ。
……って話をし、まだ校舎にいるんでわw
などという流れ。
ちなみに、こんな話をしたくはないですし、天狗にもなりたくもありませんし、自慢しようとも思いませんが、誰もほめてくれないので、少し書いただけ。ごめんなちゃいw
えらそーに聞こえたらスイマセン。
さて……。
昨日、白熱教室@二部に参加したAさんから、
「今日もやるなら、用事があるので遅遅くなりますが合流しますw」
……っていわれて、、、
「やってもサクッっとヨ。明日は授業もあるからw」
……って連絡の確認だけしてから、
岩手の学生さんSさんから
「昨日、実は参加したいビームをおくりつづけていたのにぃ」って言われていたので、、
「ぢゃア、いくべ」
……って、試験終了後の事務処理をしてから、
キャンパス1F(文系A棟)の滝山テラスで合流。
※合流するまえに煙草を1本吸わせて戴いた。何しろ、試験開始から合流まで1本も吸えず(涙
移動ちうに、先の青年と合流するや、佐野センセとも遭遇。
「軽くいきますかぁ」
……って話をしてから、佐野先生御用達の「しぞーかおでん 酒道ハナクラ」(静岡おでん)へ殴り込みw
岩手の学生さんの知人S2さん(同じく今回の倫理学受講者)も合流。
またしても白熱講義となった次第です。
ちなみにWくんだけでなくS2さんも佐野センセの英会話を受講していたので驚き。
佐野センセ、Sさん、わたちも2月生まれで驚き。
サクッと帰るつもりだったのですが、終演=終焉できません。
22時くらいに、「遅れて合流する」っていっていたAさんも合流で、エンドレス。
しかしこのへんが大事なわけよねん。
佐野先生も次の日、静岡で授業があるにもかかわらず、当方も次の日、短大での哲学の講義があるにもかかわらず、オイタをしたという次第です。
しかし、「ワイングラスを振り回しながら」、酒席で「紙ナプキンに図を書きながら」、教員であるとか、学生であるとか、そうしたカテゴリーを一切ぶっこわして、裸の一個の人間として、あれやこれやと議論することほど、お互いに益になることはありません。
参加されたご一同、ありがとうございました。
その感謝の念を忘れずに、ウンコのような宇治家参去ですけれども、また負けずに生きていこうかと決意できたひとときでした。
皆様、愛をありがとうw
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日本を変えたいと考える市民が忘れてならないのは、日本の多くの知識人が「管理者たち(アドミニストレーターズ)」にそそのかされて、既存体制の宣伝活動をさせられていることだ。
このパターンは、大平正芳首相に助言するために作られたブレーン・トラスト(専門家顧問集団)に始まる。佐藤誠三郎、香山健一、村上泰亮、公文俊平、西部邁といった学者たちが、完了と自民党議員の仲間に組み入れられ、政治家のあいだでするべき議論にかわって、自民党による一党支配と官僚の権力をイデオロギーによって正当化することを期待された。
一九八〇年代前半には、当時の中曽根首相が強力に推進して、既存体制の維持を目的とする二度目の知識人の大動員が行われた。京都に国際日本文化研究センターができたのは、この運動の一環だった。設立には多額の資金が投入されている。
外国と日本の学会の交流の場である同センターの表向きの目的は、日本文化の真髄を見出し、日本の真意を諸外国に紹介することである。独立の立場から政治を考えるいまや珍しい存在となった政治思想家、石田雄は、私にこう語った。」「この研究所が日本文化の『ユニークさ』を強調するほど、宣伝臭くなって、知的でなくなる」
この種の体制派知識人は、信じがたいほどばかげた話をつくりだすことがある。たとえば、政府がスポンサーのこの研究センターで所長をつとめる梅原猛が言ったことを見てみよう。
日本の「哲学者」のなかでも多くの著作をものし、テレビにもよく顔を出す梅原は、日本の文明は狩猟採集時代の「森林文明」の痕跡をとどめていると信じている。彼は日本文化の本質を解く鍵と、全人類の指針となる全く新しい価値観を求めて、およそ二五〇〇年前まで日本列島に住んでいた縄文人にまでさかのぼるのだ。壮大な話である。しかし、文字どころかほとんど何も発明されていなかった時代の縄文人のことだから、私たちが正確に知りうることはほとんどなく、いわんや彼らの「精神生活」について本当のことはまるでわからない。文部省は、日本のえせ学問に対する梅原の貢献に多額の金を払っていることになる。
日本の体制派知識人の論文は、せいぜいよくできたとして、戦後アメリカの機能主義に影響された欧米の学者のものまねである。既成の政治システムを論じるときに「科学的中立」を保つことで、彼らはその既成システムを追認しているかに見える。いや、日本の体制派知識人がやっているのはもっともひどいことだ。アメリカやフランスで流行っている社会学説を未消化のまま寄せ集めて読者に押しつけようとするのである。
彼らを見ていて私がまっさきに連想するのは、徳川時代の知識人の境遇である。当時の学者たちも、既成の政治体制が最善であるとの説に公然と疑義を呈することができなかった。日本の雑誌での(たとえば村上泰亮との)論争の経験から私が受けた印象では、既存の政治体制の知的吟味から得られた有益な成果について私が何を言おうと、こうした知識人にとってはなんの意味もないのである。
これらの著名な体制派知識人のほかにも、政治化された日本社会の現実を「日本人論」式に説明している者は多い。彼らもまた、この現実を日本人が当然受け入れるべきだと考えている。
戦後の決定的に重要だった時期、つまり日本が生産マシーンへと変貌し、サラリーマン文化が出現した時期に、既存の体制に批判的だった学者の多くは、説得力に欠ける時代遅れのマルクス主義理論のなかに迷いこんでいた。これは、日本の知的風土にとって大きな不幸だった。いまの日本では、もうマルクス主義的理論に影響力はない。しかしこの思想は、本来なら政治を鋭く分析するために使われるべきだった知識人の知的エネルギーの大半を、何十年にもわたって浪費させてしまったのである。
--K.V.ウォルフレン(鈴木主税訳)『新訳決定版 人間を幸福にしない日本というシステム』新潮社、2000年。
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理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書) 著者:高橋 昌一郎 |
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