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「最大の悲劇」をレコンキスタする二日間に感謝(1)

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 日本の有害な惰性の第二の原因は、一般の人びとがあいかわらず「しかたがない」と言いつづけ、思いつづけていることだ。無能な人たちが組織を運営し、構成員の間に無関心が広がっていれば、それは組織の衰退と破滅の決定的な要因となる。組織を運命する者が無能でも、構成員が組織の運命に大いに関心をもち、つねに心配しているなら、なんらかの手段を講じるだろうから組織には再生のチャンスがある。だが関心をもつメンバーが少なく、全体として充分な力がなければ、組織には再生のチャンスがない。つまり、無関心は組織にとって最大の脅威なのだ。これは、無能な政府に率いられた国にも当てはまる。
 一九八〇年代末までの東欧諸国のような全体主義国家や、チベットやイラク、ミャンマー、北朝鮮などのように外国の圧制者や専制的権力者に支配された国なら、人びとの無関心というよそはあまり関係がないか、まったく関係がない。しかし、日本はこうした独裁国家とはちがう。官僚独裁主義におかされているとしても、不可避的にそうなったわけではない。日本の有害な惰性は、つまるところ非常に強固で根が深い無関心が社会全体に蔓延している結果なのだ。
 こうした無関心は決して人が生まれついてもっているものではない。人間の遺伝子に書きこまれているいるわけでもないし、知性や感覚に生まれつき植えつけられているわけでもない。事実はまったく逆で、私たちは生まれつき、外界に積極的にかかわり、知的にも感覚的にも社会に関与する能力と傾向をもっている。自分たちの社会と政治のありかたにたいする日本人の無関心は、人為的に植えつけられたものだ。日本人は無関心でいるようしつけられているのだ。これが、長いあいだ政治的に抑圧されてきたことと関連しているのは言うまでもない。そして、日本の政治化された社会環境が、無関心のままでいることをうながしつづけいる。このように日本人が押しつけられたまま無関心であることは、これまでのところ日本にとって最大の悲劇となっている。
    --K.V.ウォルフレン(鈴木主税訳)『人間を幸福にしない日本というシステム 新訳決定版』新潮社、2000年。

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全世界の一千万読者?の皆様、二日ほど新しいエントリーをupすることができず非常に申し訳ございません。深く反省する次第です。

言い訳のようで恐縮ですが、土日(10/23-24)と秋期スクーリングにて『倫理学』を講じてきたわけですが、これまでのスクーリングのなかである意味では、もっとも白熱教室となったわけ--しかも昼夜!--、書きこむ気力・体力・知性ともにすべて蒸発した次第でございまして、お許しいただければと思います。

なにしろ3日で10時間ぐらいしか寝ていないんです(涙

また、この席を借りてになりますが、二日間受講してくださいました六九名の学生の皆様、本当にありがとうございました。

二日間に渡って徹底的に「倫理とは何か」について具体的に考察をすすめ、身近なものごとに注目するなかで、価値創造を目指していくその学の性質をみてとった次第ですが、二日間の講義を終えると、どうしてもその学問としての無力さをいつもながらに痛感します。

たとえば、社会科学の場合、何かを改善しようとした場合、具体的な手順を理解したり、その道筋を--それが効果があるかどうかは別ですが--示してみせることが可能ですが、倫理学の場合、そうした学問とは対極にありますから、そうしたことを一切描いてみせることが不可能なんです。

これは全体のなかで、ひとびとと共に徹底して遂行していく根源的な学問でるからそうならざるを得ないのですが、

結局は、(月並みな表現ですが)「がんばろう」と声をかけ続けたとしても、最終的にはどこまでもその一人一人の当人の取り組みと自覚に収斂していきますので、、煽るだけ煽ってから、最後ははしごをはずしてしまうような、ところがあり、学問としての無力さを痛痒してしまうんです。

ようするに具体的なところを紹介できないという意味で。

しかし、これまでの歴史を振り返ってみると、何かできあがった体系やイデオロギーというのがそうしたデザインを担当してきたわけですが、二三の例外を除くと、それがことごとく失敗しているところをみると、結局は自覚して生きていくことのできる人間が、他のひととの有機的な関係性--それを縁起といってよいかもしれませんが--を大切にしながら、自分たちでデザインしていく方向性へ転換していかないかぎり、根源的な変革も不可能なのだろうと思うわけでは、学としてのその矜持は守って然るべきなのかもしれません。

出来合の思想やイデオロギーに頼るのではなく、自覚した一人一人の民衆がそれが妥当するのかどうか、ひとびとと検討するなかで、誰かに社会をデザインして貰うのではなく、自分たちがデザインしていくことが大切なのでしょう。

その意味では、ウォルフレン(Karel van Wolferen,1941-)が指摘するとおり「押しつけられたまま無関心であること」は「最大の悲劇」なのではないかと思います。

学ばせて戴いたのはこちらの方だと思います。

二日間本当にありがとうございました。

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著者:カレル・ヴァン ウォルフレン
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