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党派性と中立性を取り違えたあり方に唾棄しつつ、それを無辜の日本教と説くあり方とわたしの闘いは続く!

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 <中立的なもの>の哲学に属する思想の運動はその起源と影響とにおいてさまざまであるけれども、哲学の終焉を告げる点で一致している。その運動は、いかなる顔も命じることのない従属を称揚するものであるからである。前ソクラテス期の哲学者たちに対して啓示されたと言われる<中立的なもの>に惑わされた<渇望>によって、哲学は解雇される。あるいは欲求として解釈された渇望、したがってまた活動の本質的な暴力に帰着する<渇望>が哲学を解雇してしまい、渇望は芸術や政治においてのみ自己満足することになる。<中立的なもの>の称揚は、《私》に対して《私たち》が先行し、状況内の諸存在に対して状況が先行しているというかたちをとって主張されることもある。
    --レヴィナス(熊野純彦訳)『全体性と無限(下)』岩波文庫、2006年。

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<中立的なもの>を装うというのが現代の特色かもしれませんねえ、実に。

近代以前の情況であれば、党派制のような<何かに関わっていること>を踏まえた上で、言論空間が成立していたような気がしますが、現代の特色とは、実はそれとつながりをもったまま、<中立的なもの>を装ってしまうエートスに一つあるのかも知れません。

中世なんかですと、まあ西洋においてはキリスト教徒であることが人間であることを意味しましたから、特定の党派性=全体性を代弁するものとして「列記として」言表が成立するので、異教徒とのやりとりというものは、ガチ真理性の喧嘩となってしまう。

おたがいが全てをレプリゼントするわけだからね。

だけれども、市民社会へ移項するなかで、「あなたは色がついてますよ」って言い方の方がおおきくなり、着いている色から価値中立@Weber……しかもマックス・ヴェーバー(Max Weber,1864-1920)の本意とは違う了解が大量に流通しているけれどもここでは置く……で発言しろや、ボケ、ってなってちゃったから、ねえ。

みんな勘違いしちゃったわけサ。

ガチ真理性に喧嘩に対する反省は、本来、そこに属していることを踏まえた上で発言しなさいよ、って戒めであったわけじゃないですか。

それがねえ。

自覚の戒めでなく、所属意識に対するところに無自覚になって、かってに<中立的なもの>を装うって寸法になってしまったところがマア、orzなわけなのよねん。

あらゆる人間は、自分属している文化・出自・思想・宗教という色眼鏡を外して「外部の観察者」として「記述」することは不可能なんです。これがヴェーバーの指摘なはず。
※量子論的には超越的な可能性はありますがひとまず置く。

だから、実は、かな~り、そうした臆見に属して居つつも、「わたしは、ハンドフリーの、<中立的なもの>としての立場からの言表よねん」ってウンコが量産されてしまうという次第。

そしてそれが特に顕著なのが本朝でしょう。

そして附言するならば、その対極もネ。

自覚があるから好きなことをナンボでいうぜい!って開き直りがヘイト・スピーチ系の恫喝の議論。

ホンマ、この二者択一では至善へ段階させることは不可能なはずなのやけれども。

もう、疲れるワ。

さて……。

昨日は、市民まつり……という、まあこれも神社やら特定の宗教や共同体との無縁を装った<中立的なるもの>としての市民まつりに行って参って次第です。

まあ、息子殿が楽しみにしておりましたので致し方ありません。

しかし、日本の祭に限らず、古今東西の政治(政=まつりごと)とは宗教(祀りごと=まつりごと)とイベントとしての祭りを巧みに利用してガスを抜いてしまうものです。

古代ローマの民衆慰撫が「パンとサーカス」w

本朝のガス抜きシステムが、「ハレとケ」の翠点となる「祭」りやないけ!

……っていう理を理解しておりますから、行きたくはなかったというよりも、寝不足の二日酔いというパターンでしたので、ヘロヘロで連行されましたので、、、

まあ、ガスが抜かれるといよりも、不満のガスが溜まる一方にて・・・。

途中で解放されましたが、お陰で帰宅するとばたんQ……。

出勤まで寝ていた次第ですorz

クソ。

党派性と中立性を取り違えたあり方に唾棄しつつ、それを無辜の日本教と説くあり方とわたしの闘いは続く!

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