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「感覚からの解放」@ヘーゲル

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 習慣は記憶と同じように精神の組織における一つの難点である。記憶が知性の機械制であると同じように、習慣は自己感情の機械制である。もろもろの自然的質、および年齢や睡眠・覚醒やもろもろの自然的変化は、直接的に自然的である。習慣とはそれに反して、自己感情に属する限りの、感情および知性・意志等々がもっている規制性が、自然的に存在するもの、機械的なものにされたものである。
 習慣が第二の天性(自然)と呼ばれているのは正当なことである。習慣が第二の天性(自然)であるのはなぜか? なぜかといえば習慣は心の直接的存在だからである。習慣が第二の天性(自然)であるのはなぜか? なぜかといえば習慣は心によって措定された直接性であり、感情規定性そのものと肉体化されたもの(第二五節)としての表象=意志=規定性とに帰属する肉体性を鋳造し陶冶することであるからである。
 人間は習慣においては自然的現実存在の様式において存在する。そしてそのために習慣においては人間は非自由である。しかし、感情の自然規定性が習慣によって人間の単なる存在に引き下げられ、人間はもはや自然規定性と不和にならず、且つそのことによってもはや自然規定性に対して関心をもたず、自然規定性によって忙殺されず、自然規定性から独立している。その限りの人間は習慣において自由である。習慣における非自由は、本来はただ悪い(邪悪な)習慣において生ずるだけである限り、または一般に或る習慣にもう一つのちがった自然が対立させられる場合に生ずるものである限り、一部は単に相対的であるにすぎない。それに反して、法的なもの一般の習慣や人倫的なものの習慣は、自由の内容をもっている。--本質的な規定は、人間が感覚によって触発されつつも、習慣によって獲得するところの、感覚からの解放である。
    --ヘーゲル(船山信一訳)『精神哲学 (上)』岩波文庫、1965年。

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あまり推奨されざる習慣なのですが、やはり……、寝る前にはいっぺえやらないと寝ることができません。

普段、呑まないひと、寝酒をやらないひと……っていうのはどうやって寝ているのだろうか……などと頭を悩ませつつ、

「まあ、ひとはひと」

……と割り切って呑むしかないのですが、まあ、酒を飲んで寝るというのは「感覚からの解放」@ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel,1770-1831)であることだけは確かです。

つうことで、もうちょっと呑んでから寝ようw

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