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【覚え書】ベラー『徳川時代の宗教』から引きずっている問題

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 ヨーロッパでは、キリスト教は、大抵、「現実世界」の競争から著しい圧力を受けている個人を「落ち着かせる」療法の形式となっている(これは、日常生活に深く根差している非キリスト教的側面に挑むよりも、むしろこの側面を支えることにもなっている、ともいえる)。
 日本では、これと同じように、宗教は、大抵、日本人の生活の競争の圧力から審美的(エスセティック)に逃避させている。(われわれが本当に認めざるを得ないのは、現代、日本宗教を社会心理学的に「利用する」方が、十九世紀末や二十世紀初頭、軍国主義的・民族主義的国家を形成するさいに宗教--とくに神道や儒教--を操ったよりも、ましであることだ。)
 宗教の機能する過程、つまり究極的目的の世界を手段の地位にひきおろしてしまう過程をば、逆転させることは、どんな意味をもっているのだろうか。宗教が目的を設定するとは、どのようなことなのであろうか、つまり、目的の地位を奪ってしまった手段--富と権力--が、再び手段の地位に戻るとは、どのようなことであろうか。このような変化は「近代化」の一形式であろうか、それとも、近代化が一種の限界に達し、それ自信に内在する自己破壊が徹底した様を示すのであろうか。
 このような問いは、今日、愚問であるとして一笑に付すことができるものではない。思慮深い人は、最近「成長には限界がない」というある有名なアメリカ人にほとんど同意しない。いくら考慮しても、経済成長では、人生の意味を問い、この問いに答えるのに、一定の限界がある。われわれは、魔法使いの弟子のようなものである。われわれの解放したものは、自分らが抑制出来ないものとなっている。日本ほど、こういう状態になっている国はない。たしかに、日本の伝統にはこれに代り得るものが多くある。だが、行政管理社会の構造を打破し、われわれに他の道を示す強さと勇気ある人々が現われるかどうか、見守る必要がある。
    --R.N.ベラー(池田昭訳)「ペーパーバック版まえがき」、『徳川時代の宗教』岩波文庫、1996年。

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